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礼拝説教要約(2013年7月7日)
聖書・使徒言行録2:37〜42 
「聖餐にあずかる恵み 」
 イエス様の十字架の死によって、弟子たちは先頃まで恐れと不安の中にあった。その弟子たちが突如、大胆に「イエス様こそ預言されていた救い主である」と証しし始めました。
 「だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」(:36)
 これはイエス様が予言していたことの成就です。「あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。引き渡されるときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。」(マタイ10:17~20)
 キリストの十字架に意味をはっきり認識しているなら、そして祈っているなら、語るべきことは必ず神が与えてくださる。そして聖霊が働かれる時、人々は「人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか』と言った。」(:37)と言う現象が起こるのです。これは「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」(ヨハネ12:32)の成就です。
 そこには4段階の順序があります。1、悔い改める。2、めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受ける。3、罪の赦しの確信。4、賜物としての聖霊を受ける。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」(:38) この「イエスは主である」との確信は、自然に力強い証へと繋がってゆきます。「ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証をし」(:40)とあるとおりです。
 これは継続性、拡大性をもっています。「この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」(:39) 私たちはこのみ言葉の真実であることを知っています。事実、時代的にも、地域的にも継続、拡大してきたことは、私たちが最も良く知っています。2000年経ったこの時代に、イスラエルからは遠いこの日本にも、この福音は何も変わることなく届いています。
 ペトロは「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧めています。2000年前より、時代は益々、邪悪になって行きます。と言うと、そうじゃないでしょう!だんだん良くなって行くのじゃないですか!と思っている人もいるでしょう。日本を見ても、各地に豪族が起こり、国をなして争い、それがだんだん統一され、略奪、武力の時代から、話し合いで解決する時代へ。更に大きな国々が生まれ、世界を結ぶ国連、ユニセフ等が作られ、世界は良くなってゆく。科学が進み便利になり、物質的にも豊かになったではないかと希望をもっている人もいます。でもそうでしょうか?それでも、世界は人間の貪欲さゆえに、徐々に滅亡へ向かっていることは確かです。
 それから救われるとは、このような世界から飛び出し、どこかに新しい天国世界を造ることではありません。このような世界を形成している私も「罪人である」ことを認め、神の前に悔い改めることであります。キリストの十字架による救いの恵みを受けることであります。ペトロがこの福音を語った時「洗礼を受け、3000人ほどが仲間に加わった。」(:41)とあります。
 そのキリスト者の群れは「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」(:42)とあります。私たちもこのことを大事にしなければなりません。先ず第一に、御言葉をそのまま受けることです。これに付け加え、差し引いてはなりません。2、互いに足を洗い合いなさいと言われたように、互いに許し合い、愛し合う横の交わりを通して私たちは主に似た者へと成長するのです。3、パンを裂くとは、主イエスの裂かれた肉により罪赦されたこと、流された血によって神との間に、救いの契約が成立していることを感謝し、受ける聖餐であります。これが礼拝の中心です。カトリックで礼拝のことを「ミサ」と言いますが、これは聖餐の聖体拝領を表しています。わたしたちはこのような計り知れない恵みを受けているのです。初代の人々と同じ霊に満たされ、この恵みを子どもに、遠くにいる人々に伝えて行きたいですね。そのためには4、祈りが必要です。祈りこそがキリスト者の原動力です。
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