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礼拝説教要約(2013年9月8日)
                                  聖書・マタイ福音書182135

「借りを返す」
       

 「ことば」って面白いですね。普通「借りを返す」と言えば、借りたものだから返すのはあたりまえと考えます。でも、状況によって、いろいろに響きます。「借りを返しに来ました」と優しく言えば、嬉しい響きがします。「借りを返させてもらうぜ!」と凄みを効かせて言うならば、恐ろしい響きがします。

 本来は、耕し、肥料をやると、稔りを返してくれるのが自然です。自然は神が創造し、命を育むものとして、人間に託されました。神はその状況を「善 し」としました。しかし、今年は自然が牙をむいて借りを返しました。人間が自然を育もうとせず、むさぼり、破壊し、汚して来たことによるしっぺ返しであり、猛暑、豪雨、竜巻等、実に、恐ろしさを思い知らされました。

 142地点で、観測史上最高気温を記録。かとおもうと、93地点では最低気温を記録したそうです。極端な少雨と多雨。1ヶ月平均の降水量が過去最低かと思うと、別の場所では記録的豪雨で、1日で、2か月分が降った所もあったようです。高温、低温、少雨、多雨、竜巻等、これらは30年に一度あるかないかの現象が、1月から7月までに72件あったと報道されました。

 でも、今日の話は、得意げなペトロの質問から始まります。そしてこれは、キリスト教の中心主題でもある「赦し」の問題です。

 イスラエルには「3回まで許す」という考え方がありました。ラビたちも「隣人から許しを3回以上請うことはできない」と言っています。日本にも、「仏の顔も三度まで」という諺があります。だから、世界的にもそのような感じがあるのかもしれません。ペトロは「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。7回までですか。」それは三度を2倍して更に1回を加えたのだから、「念には念を入れよ」という、もうこれなら充分。とペトロは得意げに尋ねたのでしょう。しかし、イエス様は「7回どころか7の70倍までも赦しなさい。」と言われました。それは、完全に、無限に何処までも赦しなさいと言われるのです。それが、神の赦しであり、愛です。

イエス様はそれを譬えで話されました。ある王が、家来に貸していたお金は1万タラントンでした。しかし、王は憐れに思い、寛大にも借金を帳消しにしてあげたのです。その家来は100デナリオン貸している友に会い、「借金を返せ」と迫りました。「待ってくれ返すから」と言う友に情けをかけず、「借金を返すまで」と牢に入れてしまいました。1デナリオンとは、8人家族が1日生活できる、当時の1日の日当です。1タラントンは6000デナリオンですから、1万タラントンは100デナリオンの60万倍です。今の金額に換算するなら。1デナリオンを5000円として50万円対30億円です。王の赦し、寛大な愛に対し、家来の無慈悲さが浮き彫りにされています。

この王は神であり、家来が私たちだというのです。神が与えてくださった恵みに対して、私たちは何をお返ししているでしょうか。神の与えてくださっている豊かな自然、赦しと愛。に対し、かえって、強欲になり、貪り悪をもって返している。その結果が自然の汚染であり、破壊です。

エジプトから救い出されたイスラエルの民が、何回、主に反逆し、この世的エジプトの豊かさを求めたことでしょう。神のみ心を痛め続けてきたにもかかわらず、神は赦し続けました。そして試練をもって、罪に気づかせ、悔い改めへと導いて、祝福をお返しくださいました。

このイスラエルは、人間を代表しています。これが私たちの心です。神を神ともさず、自分の欲望を満足させるために、自分に都合のよい神々を作り出しています。そして、歩んできた道が、現代の豊かそうに見えながら、滅びの時限爆弾を製造しているのです。自然の驚異はそれを私たちに教えようとしています。

私たちの、自分では償いきれない神への負債を、主イエスが命をもって償ってくださいました。罪を赦していただいた、その愛と恵みに、私たちは何をもってお返ししたらよいのでしょうか!

 今こそ、イエス様に、神様に、借りを返すときです。

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