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                                                      礼拝説教要約(2014年1月19日)

                     聖書・マルコ福音書1:14〜20
「主の弟子となる」

 今、日本は暗く危ない時代に入って行くように感じられます。消費税が上がり国庫は豊かになるはずなのに、次世代への負債である国債は増え続ける。経済優先で、原発による放射能問題も解決の目途が立たないのに、「解決に向かっている、何の問題もない、大丈夫」と嘯いている。秘密保護法案が可決され、憲法9条が変えられ、戦争ができる国、自由の束縛される国になる暗さを感じます。

 伝道も困難になるのでしょうか。いえ、この世が暗くなればなるほど、真理の光は輝きます。キリスト教の伝道の歴史を見るとき、自由のない困難な暗闇の中でこそ、宣教の業は進みました。「御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み」(Uテモテ4:2)と聖書は言っています。

 私たちは、(1)何のために働くのですか? パンを得るためですか。生活の安定を得るためですか。それを優先するのがこの世です。(2)人の望みはなんでしょう? かつては「末は博士か大臣か」と言いました。それはこの世での出世であり、栄耀栄華の道でした。(3)多くの人が人々からの脚光を浴びようとします。人の驚くような奇跡的業にあこがれます。これらを与えることが出来るとサタンは誘惑します。イエス様が公生涯に立つ前、サタンが誘惑したのもこれら、このような栄誉でありました。イエス様はこれらの誘惑に対し、御言をもって勝利されました。

 私たちも福音を伝え始めるために、これらの誘惑に勝利しなければならないのでしょうか。ある人々は、「教会に行くにはもっと正しい、清い人になってから」と言う人がいます。勘違いしてはなりません。イエス様はそのままで来なさいと言われます。主イエス様の弟子になるのは、スタートであって、ゴールではないのです。主に近づき、主に倣う者に成長してゆくのです。

 バプテスマのヨハネは人々に慕われていました。多くの人が彼の働きの正しさを認め、彼のもとに来ました。ですからそのようなヨハネは幸いな人生を送るだろうと思いたいです。しかし、待ち受けていたのは苦難でした。ヨハネの働きは間違っていたのでしょうか。そうではありません。イエス様の行動が、そうではないとを示しています。

  イエス様は、ヨハネが捕らえられた直後、ガリラヤにおいて伝道を始めました。(:14) マタイは「ガリラヤへ退かれた」と書いていますが、退いたのではなく、ヨハネを捕らえたヘロデ王の本拠地に乗り込んでいたのです。「ヘロデがガリラヤの領主」(ルカ3:1)とあります。人は本来、安きに流れ易い、自分のやり易いことをやります。しかし、主イエス様はかえって困難な道を選ばれたのです。自分のやりたいことではなく、自分を必要としている人々のところへ行かれたのです。

主は「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(:17)と言われました。主が召してくださったからには、主が訓練してくださるのです。私たちは自分がドウであろうと、このお方を信じて、委ねることが弟子になるということです。

  一人の素晴らしい主の弟子を紹介しましょう。日本有数の教会・富士見町教会の創立者・植村正久先生です。植村師は安政4(1857)、上総国武謝田村で徳川幕府の旗本の家に生まれました。しかし、11歳で明治維新にあい、家は没落、生活困難に陥りました。15歳のとき、両親と共に横浜に移り、宣教師バラの家塾に入ることで、キリスト教の話を聞き、深い感動を受けました。さらに宣教師ブラウンの家塾に入り、明治6(1873)17歳で洗礼を受け、キリスト者となりました。貧しい中で月謝を工面し励ましたのは母で、植村師は生涯、母のことは涙なしで話せなかったということです。明治10年東京一致神学校創設に伴い転校し、同時に伝道所を下谷に開設し伝道を始めました。明治1930歳の時、麹町で伝道を開始した。これが富士見町教会の誕生です。69歳で主のもとに召されるまで、ここで40年伝道牧会しました。「私は伝道が好きだ。私はもっと、神の道に貢献したい。私の一生は、卒業の無い生涯である。修養中の生涯である」と語っています。

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