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                                                    礼拝説教要約(2014年3月9日)

「誘惑に打ち勝つ」   聖書・マルコ福音書1:12〜15

 イエス様が誘惑を受けられたことは、イエス様が話さなければ、誰にも知りえなかったことであります。ですから本日の聖書箇所は、ある意図を持って記されているのであります。それは、イエス様に従ってゆこうとする者への心構えと恵みであります。

 「霊」と言うと日本人は幽霊とか亡霊と結び付け、悪い、怖い存在と考えます。しかし聖書では、そのような悪の存在は「悪霊」と表現します。そして普通に「霊」と言うと良い存在です。そして本日の霊という言葉には“ ”が付いています。だから特別な意味をもった霊なのです。これはイエス様がバプテスマを受けられた時「天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。」(1:10)にある霊です。この霊は天地創造の記事で「神の霊が水の面を動いていた。」(創世記1:2)とある、天地創造のとき共に居た神の霊であることを示しています。なぜなら、来られるメシア・救い主は、人間の罪のゆえに滅び行く世界となったこの世を、本来の姿に再創造するために来られるお方だからです。

 ではそのメシアの地上における働きは何でしょうか? イエス様がメシアであることを、聖書を通して知っている私たちは「神の国を語り、愛の業を行われた」と知っています。でも、今日の箇所は、「戦い」であることを示しています。神の創造の御業を滅ぼそうとするサタンとの戦いであります。

 旧約時代には、荒野はサタン、悪霊の棲むところとの考えがありました。また、イスラエルの民の40年の旅路に示される試練による、信仰訓練の場であります。

 神の子とはいえ、人として来られたイエス様は、私たちと同じ弱さを持っておられました。それゆえ、先ず、戦いのシミュレーションへと霊は導いたのであります。マルコはこれを「サタンから誘惑をうけられた。」(:13)と簡潔にまとめています。

 でも、マタイとルカは、この誘惑が1、神の子としての能力を、自分のために用いよ。2、この世の権力と栄華を与えるから、わたし(サタン)にひざまずけ。3、人々に奇跡をなし得る力を見せ驚かせ、人心を得よ。との誘惑であったと記しています。しかしイエス様はそれに見事勝利なさいました。「その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。」(:13)とは、この世は弱肉強食の世界であります。しかし、神が築いた本来の世界が回復される時「狼は子羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さな子供がそれらを導く。牛は熊と共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛もひとしく干し草を食らう。乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮の巣に手を入れる。わたしの聖なる山においては、何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。」(イザヤ11:6〜9)と預言されていることが成就するのです。平和共存であります。イエス様のサタンの誘惑への勝利は、メシアの支配がここに来たとの証であります。

イエス様が受けられた試練は、多かれ少なかれ、どんな人にでも来る誘惑であります。しかしサタンに勝利したイエス様は、私たちを獣のような心から、神と交わりを持つことのできる神の子、天使の心へと造り変えてくださいます。しかし、その道は平坦ではありません。色々な誘惑、試練は繰り返し襲うのです。それに打ち勝たねばなりません。

しかしここに、イエス様による勝利のサンプルがあります。それだけではありません。そのイエス様が共に居て助けて下さるのです。「事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。」(ヘブライ2:18)

 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(:15)と呼びかけられるイエス様に、あなたも従いませんか。神の良しとしたもう世界を滅びへと導こうとするサタンと戦いませんか。私たちの戦いとは、「わたしたちの戦いは、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。」(エフェソ6:12)とある心の戦いです。私たちが味わうであろう全ての苦しみ、試練に打ち勝たれたイエス様が共に居るのです。あなたも必ず、どんな誘惑にも打ち勝つことができるでしょう。

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