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 礼拝説教要約(2014年6月22日)

「わたしたちが救われるべき名」  使徒言行録4:1〜22

 人は権力の座に就いたり、財産を持つと、この世的になり易いのです。祭司、神殿守衛長、サドカイ派と呼ばれる人々は、イスラエルにあっては特権階級でした。サドカイ派はソロモン王の時代に、唯一の大祭司となったザドクの子孫です。そのとき以来、大祭司はこの家系からしか出ないのですから、神殿に関する全ての権力を握っていると言ってよいわけです。権力が世襲制になると当然のこと、賄賂は横行します。まして、宗教国家であるイスラエルでは、全ての献げ物を自由に操れる祭司のこの家系に、財産も集まってきました。彼らにとっては今のままが最も良いのであり現状維持のために、変化をもたらす者を危険視しました。

そのため、本来は最も、目に見えない霊的なこと、永遠を思うはずの彼らが、永遠へと繋がる復活を否定する人々になっていたのです。イスラエルの人々は永遠の命を求めていました。永遠の命とは、死なないで永遠に生きることではありません。人は必ずひとたび死ぬことと、死んだ後、裁きを受けることが定まっています。しかし、この裁きによって永遠の滅びか、永遠の命かが決定されるのです。永遠の命に預かる者は復活するのです。それはイエス様が霊の体に復活されたように、私たちも同じように復活するのです。死ぬことなしに復活はありません。死ぬことなしに神と共なる永遠の命はありません。古い罪の自分に死に、新たに神の霊を受けて再度、神の“良し”とし給う者として生きるのです。弟子たちはイエス様の十字架の死と復活、そして聖霊降臨を体験しましたから、この復活を確信できたのです。

 ペトロとヨハネが「イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、彼らはいらだち、二人を捕らえて翌日まで牢に入れた。」(4:2〜3)

このいらだちの行為は、自分たちの立場が崩れることへの恐れからきています。そして、大祭司と70人議員で裁判が行われました。でも、裁きの大勢は最初から決まっていました。大祭司一族の威光が、裁判の決定を握っていたからです。自分たち以上の権威を認めようとはしていないのです。

 「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」(:7)と尋問しました。そこには、私たち以上の権威は無いと奢り高ぶり、ペトロたちを非難している姿があります。しかし、数日前までは不安におののき、逃げ隠れしていたペトロ。しかし「あなたがたの上に聖霊が降ると…力を受け…わたしの証人となる。」(使徒言行録1:8)と言われた、その聖霊にペトロは満たされていたのです。今、イスラエルの最高の権威を誇っている人々の前で、ペトロは堂々と語り始めました。その口ぶりには余裕さえあります。「今日わたしたちが取調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについて」(:9)ですか?と茶化して言っているようにも聞こえます。そして、自分たちの持つ力、それは、私の内にあるのではなく、「あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレ人、イエス・キリストの名によるものです。」(:10)と自分たちの権威のありどころを述べました。神が保障している権威だと言っているのです。

 あなたがたはイエス様を殺したが、そのことがかえって詩編118:22に預言されたこと「家を建てる者の退けた石が、隅の親石となった」の成就となった。このことはイエス様ご自身も証していることをマタイは2133〜のたとえで話しておられる。だから、あなた方がイエス様を十字架につけて殺したことが、イエス様が神の子・救い主であることを証明することになったのだと大胆に語った。

 「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」(:12)と語るかたわらには、イエスの名によって癒された証人が立っていた。何も語らなくとも、救われた証人の存在は大きいのです。でももちろん、「わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」(:20)と私たちもペテロと共に「私を救ってくださったのはイエス様です」と、その名を証ししたいです。

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