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  礼拝説教要約(2014年7月20日)

「御子と呼ばれるお方」   聖書・ヘブライ1:1〜4

 皆さんは御子と呼ばれるお方をご存知ですか? 神社でおみくじや破魔矢を売っている巫女ではありません。「父のふところにいる独り子である神」(ヨハネ118)とある、この独り子と言われる神が、御子であります。

 御子だから、神と親子関係と、私たちは考えがちです。しかし、そうではないのです。日本の神話では、イザナギノミコトとイザナミノミコトから、ハヤアキツヒコとハヤアキツヒメの夫婦の神が生まれたと、親子関係で書かれています。そのため、神の世界でも系譜があるかのように考えてしまうのでしょう。日本の神は、天皇家に繋がる必要があるため、誰々の子が誰で、その孫が誰と系譜が必要なわけです。まことにこれは、人間が作り出した神話であります。これは実に人間的であり、偶像の神といわざるを得ません。しかし、聖書に書かれている真の神は全知全能永遠無限なる神です。だから、神には肉的な系譜など必要ないのです。天使はおろか、天国においては人さえ娶り嫁ぎは必要ないのです。系譜が必要なのは、この世的人間の世界です。

 「御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました」(2)とあるように、御子も父なる神と一緒に、永遠の初めから存在し、天地を創造されました。また、永遠にいたるまで、万物を保持なさる神であられると、聖書は言っているのです。

 神は本来、霊的存在であるだけでなく、人間の頭脳では理解しがたい大いなる存在であります。そのため人間は真の神を知らないと、自分に都合の良い神観念を作ってしまいます。そして時には、統治のため自分を神、神の子孫とするのです。この自分に都合の良い神々が偶像と呼ばれるものです。

 しかし神は、ご自分を正しく理解させようとして、ご自分を啓示なさいました。神の栄光、神の本質を人間に分かるように、完全に表わされたお方が、御子と呼ばれるイエス・キリストであられます。

 ヘブライ人は、神観念においては天地創造の唯一の神という正しい観念を持っていました。正しい神観念を持っている者は、創世記3章にあるように、自分は神の御心から離れて、自分中心に生きている罪人であることを認識できます。罪を認識している人は、救いが必要であることもわかります。だから、ヘブライ人は自分を救ってくれるメシア(救い主)観を持っていたのです。しかし、このメシア観は、選民思想が強くなるにしたがって、間違ったものへと変化してしまいました。そのため、自分たちの描いていたメシア像と違うイエス様を、メシアとして受け入れなかったのです。そして、イエス様を、神を冒涜するものとして十字架につけて殺してしまったのです。

 救いに失敗したかのように見えるイエス様の十字架の死こそが、人間を救い清める神の業でした。人間の失敗をさえ、神は利用できるお方です。ヘブライ人の誤ったメシア観から起こった御子イエス否定も、全人類を救うため利用なさいました。歴史に「もし」はありませんが、もし、ヘブライ人がイエス様を救い主として、受け入れたなら、キリスト教はヘブライ人の宗教で終わったことでしょう。しかし神は、アブラハムに「あなたは全人類の祝福の基となる」と言われました。ヘブライ人がイエス様を否定したことによって、救いは異邦人から始まり、全人類の救いへと広がりを持ったのです。

 イエス様は人間の罪を取り除くという救いの業を終えて、本来居るべき天へ帰られました。「天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。」(3)とは、神の全権は復活のイエス・キリストにあるということです。このことは、現代に生きる私たちと何か関わりがあるのでしょうか? 

 イエス様は天にお帰えりになる前に、「わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。…わたしが行けば、弁護者(別の助け主)をあなたがたのところに送る。」(ヨハネ167)と言われました。これは、私たちを神の裁きに耐え得る者へと整えるということです。そして、イエス様が天に帰る時、主を見上げている弟子たちに、主の補佐役である天使は「イエス様は、また来る」と言いました。主に目を注いで、主の再臨を待つことは、私たちの希望であり力の源です。ヘブライ人は守護天使の存在を信じていました。カトリックもその信仰を継承しています。でも、「御子は、天使より優れた者」(4)と、私たちを守ってくださるお方は、天使以上のお方です。贖い主であり、裁き主。これが私たちの主、御子と呼ばれるイエス・キリストです。

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