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 礼拝説教要約(20141026日)

「信仰によって生きる」    聖書・ローマ書1:16〜17

 今週の金曜日・31日は宗教改革記念日です。15171031日、マルチン・ルターがローマ・カトリックの免罪符発売に抗議して、ウイッテンベルク城教会の門に95ヵ条の意見書を掲げました。彼はカトリック教会に反抗するつもりではなく、神学上の討論の素材として公表しました。

 彼より以前にも、イギリスのウイックリフやプラハ大学のフス、フィレンツェのサボナローラという人々が、聖書主義に立ってローマ教会の批判をしました。しかし、ローマ教会によってことごとく処刑され、改革は失敗しました。だから、生き残り、真の福音を再生したルターの95ヵ条提示の日が、宗教改革の始まりの日とされています。

 ルターはローマ教会内部での改革を望んでいましたが、意見書を取り消すように言い渡されました。しかし彼は主張を取り消すことなく、破門されてしまいました。でも、ローマ教皇に税金等で嫌悪を抱いていた諸侯がルターを支持し、守ったのです。ルターはやむなく、真の福音信仰に立つ群れを作らざるを得なかったのです。

 その「真の福音」とは、聖書を神の言葉とし、それに基づく信仰のみが、人を救うということです。また、すべての信仰者は、神の前では等しく、未だ救われていない人のために執り成す祭司であるというものです。これはパウロが説いた福音であります。中世のローマ・カトリック教会で、教皇の言葉が聖書と同じ権威を持つとし、聖書の権威が失われました。また、信仰による救いではなく、免罪符を買うというような行為が善とされ、その行為によって救われるという行為義認の考えとなりました。更に、教皇を頭に、人に貴賎の階級をつけていました。それゆえ、ルターが真の福音を再発見し、それに続く働きが、宗教改革だったと言えます。

 パウロとルターは似た境遇に有ります。@パウロはファリサイ派の律法学者でありました。ルターもまた、律法家になるべく法律を学んでいました。A二人とも自分が身をおく組織に疑問を感じました。パウロにとってはユダヤ教であり、ルターにとってはローマ・カトリックでした。

 17節に「福音には、神の義が啓示されています」とあります。「義」とは神との正しい関係であります。ユダヤ人たちは神の言葉を自分たちに都合よく解釈し、律法を作り出していました。それを実行することにより、義が得られるとしていたのです。自分に都合よい律法なら守れても、神の真の戒めは、人間、誰も守りきれません。マタイの福音書の山上の垂訓に「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『…… 』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。……」とあります。これは神の言葉が曲げられていたこと、そして、人間流の律法を守って、自分は義を得られると考えていたことを示しています。しかしそれは、神の義ではなく、自分が成して得た「人の義」であります。人が行った行為による義は人を高慢にします。それが、規定通り十分の1を捧げたとか、免罪符を買ったという行為による義であります。しかし「福音」それは、神の恵みであります。神の義とは、その神からの恵みを、感謝して、人が信仰を持って受け取ることであります。

 パウロは「わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。」(フィリピ39)といっていますが、それが、今日の「初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。『正しい者は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」(17後半)と合致します。

 パウロはこのような「福音を恥としない。」(16)とあります。あえて「恥としない」と書いたのは、パウロが福音を宣教する過程で、迫害され、嘲られ、辱めを受けたからでありましょう。しかし彼は、信じる者すべてに救いをもたらす福音を誇りとし、宣べ伝えることのできることを光栄としました。なぜなら、それを成させるのは自分ではなく、神の力であることを経験したからです。ルターも迫害による死の危険の中で、すべての人に神の言葉を伝えるため、ラテン語でしか許されていなかった聖書を、ドイツ語に訳しました。これは、誰でもが聖書を読む機会を与え、宗教改革を大いに前進させました。ルターは「我ここに立つ」と、聖書信仰に命を懸けたのです。

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