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  礼拝説教要約(20141221日)

「天使の讃美」       聖書・ルカ福音書2:8〜20

 主イエス・キリストのご降誕を最初に知らされたのは羊飼いたちでした。この喜ばしい出来事は、イスラエル民族に与えられていた約束でした。それなら、イスラエルを代表する王や大祭司に、最初に知らされるのが道理でしょう。しかし神は、そうしませんでした。それは、彼らがこの知らせを受けるに相応しくなかったからです。王は、この世の権力を得るため、ローマに貢物を贈って権利を買い取った人でした。だから、今に満足し、現状が一番良い状態で、変化は求めていないのです。祭司もまた、宗教国家であるイスラエルの頂上にあって、役得をむさぼり、単に儀式を行うだけで、新しいことを願ってはいませんでした。羊飼いは、貧しく、軽蔑視される存在になっていました。彼らは仕事上、祭儀律法の11画を守ることは困難な状態にあったからです。しかし、イスラエルの民自身、かってアブラハム、イサク、ヤコブの時代は半遊牧民でした。エジプトで奴隷にされたのも、そのエジプト王朝が遊牧の羊飼いを蔑視していたからです。羊飼いたちは古き良き時代のイスラエル民族の代表と言えましょう。彼らには神殿を中心とした祭儀はありませんでしたが、主なる神を礼拝し、その御言葉に従って歩む純真な信仰を持っていました。このイエス様誕生の時の羊飼いたちも、同じ純真な信仰を持っていたのでしょう。その野宿している羊飼いたちに天使は現れ、救い主の誕生を告げ知らせたのです。

 「主の栄光が周りを照らした」(9)とのことばは、荒野で神の幕屋が完成した時、「雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた。」(出エジプト4034)と、ソロモンが神殿を完成した時、「主の栄光が主の神殿に満ちたからである。」(列王記上811)とに記されています。神殿が真の神殿であるためには、主の臨在こそが最も大事なのです。羊飼いたちは主の臨在の中で「わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそメシアである。」(1011)との御告げを聞きました。

 それと共に天使は神を讃美し、救い主メシアの使命を、高らかに歌ったのです。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」(14)と。

 ヘブライ人への手紙でもずーっと教えられましたように、神がわたしたち人間に与えたいのは「安息」であります。神の側にはすでに、安息は確定しております。神の臨在のうちに、主に信頼しきった人々の平安。これが天国の姿であります。そこには、人知でははかり知ることのできない平安と喜びが満ち満ちているのです。イエス様はこの神の平安を人々にもたらすために来られました。この心の平安を持っている人のみが、真の平和を造りだす人々です。「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ59)と、イエス様は言われました。

 それに対し、ドイツの独裁者ヒットラーは「平和主義など臆病の表れに過ぎない。」と言いました。また、イタリアの一党独裁を作り上げたムッソリーニは「哲学上、教義上の見解から、私は、永続する平和を信じない。」と言いました。これは他人事ではありません。この二国と同盟を結んで、第二次世界大戦を引き起こした日本は、今また、戦争の出来る国になろうとしています。今日本は、一党独裁になりつつあります。そして戦後69年、戦争をせず来れた基である憲法9条が変えられようとしています。また、秘密保護法が施行されました。私たち普通の人には大きな影響がないかのように思えますが、言論の自由が奪われ、真実が隠されてしまいます。戦時、政府に都合の悪い情報は隠され、大本営発表は軍に都合よい放送のみでした。それを犯すものは投獄されたのです。そのような、新聞、放送に携わる人は特に、制約を受ける時代が近づいていることを感じるこの頃です。

 このような時代だから、今年のクリスマスのテーマを「平和を祈るクリスマス」―あなたの心に希望の光を―としたのでした。神様が望んでいる世界、「天にある神の平和が、この地上にもイエス様によってもたらされた」との天使の讃美を心に受け入れたい。その時、ただの力ない羊飼いであっても、喜びを告げる平和の使者になれました。私たちも天使の讃美を心に聞きましょう。

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