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礼拝説教要約(2015年3月22日)

「律法を越えた祭司」   聖書・ヘブライ書7:1〜14

 あなたの人生にとって拠り所となる、最も大事なものは何ですか?
聖書の民・ヘブライ人にとっては、律法こそが拠り所でした。
 神によって祝福を受ける民として選ばれ、その神に祝福を受けるに足る者となるため、律法が与えられました。そのような律法を持っていることこそヘブライ人の誇りでした。そして律法には、人が神に近づき受け入れてもらうための祭司制度も示されていました。ヘブライ人は人間が神の前に立てない罪人であることを自覚していました。そのため、神の前に、人々が義と認められるための祭司の働きと、犠牲の捧げ物の規定を、神は律法として定め与えてくださったのです。その律法によって、祭司職はレビ族のアロンから始まり、その子孫のみが受け継いでまいりました。

 でも、イエス・キリストを救い主と信じたキリスト者たちは、罪を赦され、神の前に義とされるために、祭司による犠牲の捧げ物をしません。そればかりか、レビ系の祭司そのものさえ必要としませんでした。(あなたもそうでしょう!)

 でも、モーセを通して与えられた律法。そしてレビ系の祭司による祭儀を拠り所として、ヘブライ人は1300年以上も信仰生活を守ってきたのです。ですから、ヘブライのキリスト者たちは「本当に、キリストの十字架の贖いを信じるだけで罪を赦され、神に義とされるのか?」との不安もいっぱいあったのです。

 それで、この書の著者は、キリスト者の拠り所となっているものが、律法以上のものであること、レビ系の祭儀をはるかに越えて、神の前に完全なものであることを説いているのです。

 「もし、レビ系の祭司制度によって、人が完全な状態に達することができたとすれば、…いったいどうして、アロンと同じような祭司ではなく、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられる必要があるでしょ。」(11)と反語で記しています。これは、レビ系の祭司制度では、神が「良し」とする完全な救いの状態に達することはできない。だから、救いを完全に行う真の大祭司が来なければならなかった。それが、アロン系の祭司ではなく、メルキゼデクに等しい祭司であると言っているのです。将来において救いを完成する真の大祭司を、メルキゼデクによって予表しているのです。

 では、祭司メルキゼデクとは何者なのでしょう。

先週とは逆に、律法を神から受けたモーセから年代を遡り、600年。アブラハムは神により選ばれ、祝福の約束を頂いて、神の民となるべく旅立ちました。約束の地カナンに定住して月日を経た後、ロトの事件が起きました。

 エラムの王ケドルラオメルとその連合軍が攻めて来て、アブラハムの甥、ロトの住んでいたソドムも戦いに負けてしまったのです。甥のロトは財産もろとも捕虜として連れ去られました。それを知ったアブラハムは、家の子郎党318名を引き連れて追跡し、ケドルラオメル軍を打ち破り、すべての財産を取り返し、親族のロトとその財産、女たちやそのほかの人々も取り戻しました(創世記14)。この時、アブラハムをカナンの地で祝福した人物がメルキゼデクです。彼は「いと高き神の祭司であったサレムの王」と記されています。サレムという一都市国家の王ではありますが、「ツェデク」=「義」の名が示すとおり「義の王」。「サレム」=「平和」の王であります。(2) また「天地の造り主、いと高き神に、アブラムは祝福されますように」(創世記1419)と祈っていることからわかるように天地の創造主を知る祭司でありました。アブラハムはこのメルキゼデクにすべての物の10分の1を捧げています。未だ、レビなどイスラエルの子孫がアブラハムの腰の中にいたときです。このメルキゼデクは「彼には父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりもなく、神の子に似た者であって、永遠の祭司です。」(3)と記されています。アブラハムを祝福したのですから、彼以上のものです。ましてやその子孫のレビとその系統の祭司より、はるかに越えた存在です。神に起源を持つ祭司である彼こそは、来るべき真の大祭司を予表している人物です。「わたしたちの主がユダ族出身であること」(14)とは、イエス様がアロン系ではないことが、かえって、メルキゼデクによって予表されていた、律法を越えた真の大祭司であることの証拠なのです。

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