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  礼拝説教要約(2015年4月26日)

「あなたの信仰があなたを救う」聖書・マルコ福音者5:2534

 近年、社会におけるキリスト教界の影響力が弱くなってきていると感じます。日本基督教団の教勢も、礼拝、教会学校共に右肩下がりと言われるようになって久しいです。「近年」と言ったのは、明治期のキリスト者たちは、数は未だ少なかったですが、世の光として大きな影響力を持っていたからです。教育や福祉の面での先駆けをしたのはキリスト者たちでした。それは学校や福祉施設にキリスト教主義のところが多いのでも分かります。

 今日は教会総会ですが、私たちの教会も会堂建築をした後、「さあ、伝道!」と希望を持ちました。でも毎年、受洗者は起こされているのに、ここ数年、減少傾向にありました。信仰の流れの異なる人々が出て行かれたという事情もあります。でもこれは、新しい教会が一つ生まれたのだと、前向きに受け止めてゆきたいと思います。とは言っても、このような状況の中で、自分自身も弱いなと感じてしまいます。これは教会の主であるイエス様が弱いのではありません。イエス様は「わたしはすでに、世に勝っている」(ヨハネ1633)と言われました。だから、このイエス様の力を私たちも頂きたいものです。

 イエス様の力を引き出す秘訣はどこにあるとお思いですか? 「信仰」であります。信仰は、時として、常識はずれの行動をなさせることがあります。キリスト教主義学校・同志社を設立した新島譲氏は鎖国の日本を密出国しました。映画・塩狩峠の主人公の永野信夫さん(実在のモデル長野政雄氏)は、多くの人の命を救うため自らの命を投げ出しました。長崎の26聖人の中には少年でありながら、自ら殉教者の列に加わった人もいました。自らの命をも惜しまず、神と人のために仕え、投げ出した人々は数限りなくおります。

 先週のサマリアの女は、律法的には汚れていないが、常識から外れており、自分で卑屈になって、人目を避けていた女性です。そんな人がイエス様に出会い、変えられ、人の中へと出て行き、福音の使者になりました。今日の箇所は、他人の迷惑も顧みず、律法を犯した、汚れた女性が登場しています。

 12年間も不整な出血が続いていた女性。律法で汚れた者でした。他者と接してはならないとされた者です。他者をも汚れた者にしてしまうからです。でもこの女性は、自分が汚れた者と知りつつ、群衆の中へ紛れ込みました。そしてイエス様に触れたのです。「わたしの服に触れたのはだれか」(30)とイエス様が言われた時、この女性は「叱られる」と思ったことでしょう。しかしこの女性は「自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した」(33)のです。自分が12年も長血で汚れた者であること。イエス様のことを耳にしたこと。このお方なら私の病気を治してくださると信じたこと。イエス様にも、周囲の人にも迷惑を承知で来て、イエス様の服に触れたこと。そして信じたとおり出血が止まり、病気が癒されたと体が感じたこと等を話しました。

 イエス様との関係で、自分に起こったありのままを話すことで、この女性も、サマリアの女性と同じく、いつしか主を褒め称え、イエス様が救い主であるとの証し人に変えられていたのです。イエス様はこの女性に宣言されました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」(34)

 このお言葉は、イエス様を救い主として信じる者すべてに与えられているのです。マルコは115に「時が満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」とイエス様が言われたことを記しています。これは、イエス様がこの世に来られた意味が、人を悔い改めに導き、神の国をもたらすためであることを示しています。

 天国は死んでから行くだけの所ではありません。天国はこの世に来るのです。主イエス様がこのように祈りなさいと教えた主の祈りの中にも「み国を来たらせたまえ」とあります。イエス様がこの世に来られた時、天国は近づき、イエス様が十字架で贖いの死を遂げられた時、天国の拠点が地上に生まれたのです。今は未だ小さくとも、確かに神の国はこの地上に来ているのです。悔い改めて、十字架による救いの福音を信じる者の間に、神の国はあるのです。主も「実に、神の国はあなたがたの間にある」(ルカ1721)と言われました。私たちはこのイエス様が全権をお持ちの神の国の住人です。私たちは弱くとも、主イエス様の力が信仰により、私たちを通して働くのです。だから、信仰こそが私たちの力です。

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