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  礼拝説教要約(2015年5月10日)

「最も必要なこと」     聖書・ルカ福音書103842

 今日は週の初めの日。皆さんと共に礼拝を守れることを嬉しく思います。今月の全体祈祷課題の1つは4月より継続して「皆が礼拝を誠実に守れますように」です。初代のクリスチャンたちは、週の初めの日、復活のイエス様にお会いし「イエスは救い主(キリスト)である」と確信を得ました。イエス様が十字架に架かって下さったことによって、自分の罪は赦され、神の前に義とされており、永遠の命が与えられている。それは神がご自身の霊を吹き込んで造り給うた、本来の人間の姿・神の子とされているという確信でした。イエス様にお会いする喜びは、ここに源があります。

 先週、聖餐式でしたが、その感謝の祈りに「キリストの贖いの恵みを、私たちのうちに確かめ、私たちの罪を赦し、汚れを潔め、永遠の命を与え、み国の世嗣としての望みを堅くしてくださいました」とありました。まさにその通りです。また、別の助け主・聖霊も、復活から7週後の日曜日・五旬節に降って、弟子たちを力づけ、正しく導き、世界宣教へと遣わしました。

 私たちクリスチャンにとって最も必要なこと、それは、主と共に居ること、主のお言葉を聞くことです。イエス様の弟子たちは、復活のイエス様に会うため日曜日に集まりました。聖霊を注がれ、彼らはイエス様のご臨在を覚えました。これが礼拝となっているのです。礼拝することは喜びでした。

 エルサレム郊外のベタニア村に、3人の兄弟が住んでいました。マルタと妹のマリア、そして弟のラザロです。弟のラザロはかつて、病気で死んでいたのに、イエス様によって生き返らせていただいたことがありました(ヨハネ11章)また、マリアは高価なナルドの香油をイエス様の足に塗り、髪で拭いて、もてなしをしたのです(ヨハネ12章)。このような間柄ですから、イエス様一行はエルサレムに来られた時、この家に良く来られたのでしょう。この家族にとってイエス様一行は馴染みのお客様でした。宿屋じゃないけど、大事なお客様を迎えるなら、おもてなしをするのは当たり前です。

日本人はおもてなしを大事にする国民です。2020年の東京オリンピックが決定した、2013年の国際オリンピック総会で、日本招聘委員の滝川クリステルさんが「おもてなし」と発言したことが話題となったことがありました。「おもてなし」は日本人の国民性とも言えます。だから、世話好きなマルタには好感が持てます。この兄弟姉妹の両親は死んでしまったのでしょう。しっかり者のマルタが一家の大黒柱でした。イエス様たちが来られると、お茶を出し、食事の準備をし、かいがいしく働いていました。お客を迎えた者としては当たり前のことです。しかし、妹のマリアはイエス様の足もとに座り込み、イエス様の話に聞き入っているのです。そのようなマリアを見ると、マルタは忙しさのあまり心が苛立ち、つい、イエス様に愚痴を言ってしまいました。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」(40)と。この言葉は、他者への配慮なく、自分の好き勝手をしているマリアに対する批判であります。でもそれだけでなく、このような困った状況を知っていながら、無頓着に話し続けるイエス様にも批判の矛先を向けています。

 「マルタ、マルタ!」とイエス様はマルタに呼びかけました。言葉を重ねるのは特別な時です。そして多くは、あまり良い状況はありません。「はい、はい!」などと言い、「返事は一回で良い!」と言われたことはありませんか。これは「生返事」と言い、仕方ないなー、めんどくさい、うるさいなーなどいう感情が入っています。又、お願いされたことに対する安請け合いの場合もあります。しかし今日のイエス様の2回も名を重ねた呼びかけは、ねぎらいと愛情をこめた呼びかけでした。「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。」(4142)と。主の言葉に耳を傾けないから苛立つのです。神の言葉を聞かないから、誤り、罪を犯してしまうのです。そのような罪の中にあることにさえ気付かないのも、静まって、神の言葉を聞かないからです。

 神は人間の弱さを知っておられるからこそ、「6日を働いて、1日をわたしの前に静まりなさい。」と言われました。礼拝を誠実に守ることこそ、私たちに最も必要なことです。マリアと共にその良い方を選びたいものです。

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