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   礼拝説教要約(201567日)

「祝福の約束を信じる」    聖書・創世記13218

 アダムとエバは、あなたと関係が有る人ですか? 勿論、人類の祖ですから関係が有りますよね。彼らはサタンにそそのかされたとはいえ、自分を創造くださった神を信頼し切れませんでした。そして、神の言葉を薄め、付け加え、滅びへの道を歩き出したのです。そのため、全人類が命のみなぎる祝福の世界ではなく、滅びへの的を定めてしまったのです。これは創造主なる神の目的ではありませんから、これを「罪」と言うのです。神は人間に、永遠の命と、ご自身との交わりである祝福を与えるご計画を持って、人間を造られたのでした。聖書は最初から最後まで一貫しています。聖書の最後・ヨハネ黙示録221819節には「この聖書の預言の言葉を聞くすべての者に、…これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。また、…何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。」と記しています。神はイスラエルの民と、イエス・キリストを通して、この祝福を全人類に回復してくださったのです。ですから、黙示録の言葉は、これを読んだ、現代に生きる新約の民・私たちに与えられているものなのです。

 あなたは、アブラハムと関係が有りますか? 彼は、ノアの時代の洪水から救われたセムの子孫であり、私たちはヤフェトの子孫ですから、血族的には異なる者です。しかし、滅びの道に入っている全人類を、神に立ち戻らせるためアブラハムは選ばれたのです。それで、私たちも霊的に彼に繋がるなら、アブラハムへの祝福の約束は、私たちにとっても、同じ祝福の約束となるのです。なぜなら、未だアブラハム(諸国民の父)が、アブラム(大いなる国民)と呼ばれていた時、彼は「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となる…地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」(創世記1223)と約束されているからです。

 アブラムはこの約束を信じて、甥のロトと共に旅立ち、カナン地方に導き入れられました。彼は行く先々で、先ず、祭壇を築き、礼拝しました。神は約束通りアブラムを祝福し、「非常に多くの家畜や金銀を持っていた」(2)。又、甥のロトも「羊や牛の群れを飼い、たくさんの天幕を持っていた」(5)。「彼らの財産が多すぎたから、一緒に住むことができなかったのである。」(6)と記して有ります。人は豊かになると幸福になり、争い等なくなると考えていますが、本当にそうでしょうか。そうではありません。更に貪欲さが増すようです。「アブラムの家畜を飼う者たちと、ロトの家畜を飼う者たちとの間に争いが起きた。」(7)とある通りです。アブラムは甥のロトと分かれて暮らす方が穏やかであると察して、分かれることにしました。

 どこを生活の場にするかは大事なことです。アブラムは自分が上位の立場であったにもかかわらず、どこに住むかの優先権を甥のロトに与えました。ロトは生活に適した便利な場所、豊かさを得ることを基準に「ヨルダン川流域の低地帯…主の園のように、エジプトの国のように、見渡すかぎりよく潤っていた」(10)東を選び、移って行きました。これはこの世の判断基準です。豊かさのみを追求し、自分の欲望を満足させようとすると、そこは、神の裁きを招くソドム、ゴモラのようになるのです。それは昔も今も、どの国であっても同じことです。

 アブラムは残った西側の高地へ移りました。そこは水のない荒野であります。祈らなければ生活できません。アブラムの選択は損のように感じられます。しかし、彼は名のごとく「大いなる国民」にするとの、神の約束を信じていたのです。どのような環境、状態であろうと、彼は、祝福を約束くださった神が喜ばれることを選択の基準に、神か共に居てくださることを願ったのです。だからこそ行く先々で、先ず祭壇を築き、祈りをささげました。127節、8節、134節、18節「アブラムは天幕を移し、へブロンにあるマムレの樫の木のところに来て住み、そこに主のために祭壇を築いた。」

 信仰とは、神の言葉は必ず実現すると信じ続けることです。その約束の主を礼拝し、主の言葉を聞き続けることです。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(マタイ633)。私たちもアブラハムの信仰を受け継いだ者です。「あなたを祝福し、あなたの名を高める」との約束を信じ通しましょう。

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