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    礼拝説教要約(201582日)

「信頼して歩む」       聖書・創世記281022

8月第1聖日を日本基督教団では「平和聖日」と定めています。広島に原爆投下された194586日を覚え、原爆投下によって被爆した牧師、信徒が1961年に、8月第1聖日を平和聖日として守るよう要請しました。次の年1962年に日本基督教団では、聖書を通じて神の御旨としての平和を学び、平和の実現を求める祈りの日として、これを制定したのです。

現在でも世界では20ほどの戦争が継続されていると言われています。ソマリア内戦、マリ内戦、シリア内戦、パレスチナ問題、アフガン問題、カシミール問題、中印国境紛争等。停戦状態のものもあれば、パレスチナ問題、アフガン問題のように、現実にニュースとして流れ、銃が撃たれ、爆弾が炸裂している映像が放映されているものもあります。そして最も残虐かつ卑劣なI S(イスラム国)による戦争は、誰でも知っているでしょう。

戦い争いは、なぜ起こるのでしょう。「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからです。願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみに使おうと、間違った動機で願い求めるからです。」(ヤコブ413)と聖書は、争いの原因をはっきりと、「間違った欲望」であると指摘しています。

今日の聖書箇所にあるヤコブの旅立ちは、争いを避けるためでした。争いの火種はヤコブ自身が蒔いたものでした。第1は、兄エサウが長子の権利を軽んじていたとはいえ、食べ物一食で長子の権利を奪ったことです(創世記2529節以下)。第2に、母リベカの勧めにより、エサウか受けるはずの父の祝福を、策略により騙し取ったことです。(27) これらのことでエサウは「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる。」(2741)と思うようになりました。このことを聞いた母リベカは、自分の生まれ故郷ハランに住む兄ラバンの所へ逃げるよう、ヤコブに勧め、ヤコブは逃亡生活へと旅立つのです。

これは、アブラハムに与えられた神の祝福を受けるに相応しい者に整えられるための“試練の旅”と言えるでしょう。また、エサウはカナンの女性(偶像崇拝者)と結婚していました。しかしこれは、神の御心ではないし、イサク、リベカの思いを裏切るものでありました。それ故この旅は、アブラハム、イサクと受け継がれた、創造主なる神を信じる、同じ信仰者との結婚への導きだったとも言えます。

寂しい一人旅。日が暮れ、疲れた体を休めるのも野宿です。ヤコブは石を枕に眠りにつきました。「すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地上に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。」(12) 階段(梯子)といえば、下から上へ登るためのものと考えがちです。しかしこの夢の階段は、天に基礎を持ち、地上へと伸びているのです。これは天よりの神の恵みを表わし、神が先立って、ヤコブに近づいてくださったのです。主はヤコブに「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。」(1314)と語り掛けました。これはイサクの祈り2834の、主からの確約であります。それだけでなく「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地へ連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」(15)と言われたのです。神がいつも共に居り、守るとの約束は、なんと喜ばしく幸いなことでしょう。

寂しく心細かったヤコブは、この不思議な、神臨在の体験によって、別人のように変わったのです。ヤコブは「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、天の門だ。」(17) 神を畏れる者は、この世を恐れなくなります。全能にして愛なる神が共に居ますとの平安は、ヤコブを主に信頼して歩む信仰者へと成長させました。

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