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   礼拝説教要約(2015823日)

「あなたの心はどこにある」  聖書・ルカ福音書121334

 先週、何が真の幸いであるかを共に考えました。「最高最善の幸いは、経済的豊かさではない。永遠なるお方・全知全能でありながら、愛なる神を受け入れること。そのお方との交わりこそ真の幸いである」と知りました。

 人の姿をとってこの世に来られた、神の子・イエス様と交わることは幸いなことです。事実、多くの人々が集まってきました。でもその大部分の人は、イエス様が腹を満たしてくれたからでした。イエス様は集まった群衆に「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。」(ヨハネ626)と言っています。

 お金があれば、食べ物があれば安心、幸福と思っている人が多いです。でも、お金があっても、更に貪欲になり、不安が増します。それを失わないように、盗まれないようにと心配の種が増えるのです。「愚かな金持ち」の喩え話は、そのことを適切に表わしています。

 イエス様の言われた「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」(15)とは、真実です。命と富とどっちが大事なの? 聖書の答えは明らかです。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」(マタイ1626)と、人の命は全世界より大事であると言っています。

金持ちは、一生かかっても使い切れないほどの富を得ました。「自分のために富を積む」(21)とあります。でもそれこそが「愚かなこと」であるというのです。

それと対照的な言葉が「神の前に豊かになる」(21)であります。33節では「尽きることのない富を天に積みなさい。」と言い換えています。物質的富は天に積むことはできません。地上の富を利用し、愛をもって他者に仕えて行くことです。ここに神の国の交わりが生まれます。それは神の御心であり、喜ばれることです。このようにして天に宝を積むことになるのです。金持ちは盗まれないかと心配し、悩みました。また「虫が食い荒らす(33)」とは、地上に蓄える物は錆び、腐り、いつかは朽ち果ててゆく空しい物であることを表わしています。だから主は「命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな」(22)と言われます。烏や野原の花を例に取り、神の自然な摂理を説いています。では、この世の生活については、何も悩まず、何の努力もしなくて良いのでしょうか? そうではありません。「あなたがたの父(神)は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存知である。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。」(3031)とあります。神の国に心を向けるかが大事なのです。私たちが生きるに必要な物は、神様がご存知です。だから衣食住等、この世で生きるに必要な物を得ることは神様に委ね、神の国を得ることに心を向けるのです。神の国とは神の愛が支配する所です。だから私たちは、神の御旨を求めることを第1にしたいものです。

私たちは、今日も目覚めました。生きていることを感謝しましょう。手足が動くことも、朝食を食べられたことも、服を着れたことも感謝です。だから先ず、全ての富も能力も、神の恵みであることを認め感謝しましょう。

次に、神から受けた祝福を、神の栄光のために用いる者でありたいです。「神の栄光」とは、神の御旨が成ることです。神の御旨は「全ての人々が救われて真理を知るようになること」(Ⅰテモテ24)です。全ての人を救おうとの神の計画は「秘められた計画」でありました。「秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに1つにまとめられます。」(エフェソ1910)と記されています。キリストの十字架による贖いによる救いこそが、神のご計画だったのです。その御旨がなるとき、人々は神を褒め称えないではいれません。神の御旨が成るようにと心を持って生きる、その交わりこそが神の国です。

あなたは、何を求めますか。この世の富ですか。それがあなたの最も大事な宝ですか。それとも、神の国・全てを加えて与えてくださる、愛の神様との交わり、その愛に生きようとしている人々との交わりですか。それがあなたの最も大事な宝であるなら、あなたの心もそこにあります。

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