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礼拝説教要約(2016529日)

「キリスト者と呼ばれた」   聖書・使徒言行録111926

 「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行った」(19)とある迫害は、先週の聖書箇所にもあったように、大祭司から諸会堂宛の「イエスをキリストとする者を捕らえてもよい」との手紙が出されたことによっても、国による迫害であったと言って良いでしょう。

 日本でも国による迫害がありました。豊臣秀吉、徳川幕府による天主教(カトリック)への迫害。プロテスタントは明治期に個人的な迫害はありましたが、明治維新後、欧米諸国の文化を取り入れましたから、国としての迫害はありませんでした。しかし、先の第二次世界大戦の時、1942626日早朝、ホーリネス系の教職96名が検挙されました。更に、19434月にも第二次検挙38名があり、最終的に134名の教職が捕らえられ、獄死した人もおりました。そればかりでなく、ホーリネス系教会は解散を命ぜられました。信徒の中にも、家に憲兵が来て聖書を取り上げられた人もおりました。

 聖書に戻りますが、「迫害」により散らされるということは辛いことです。家も家財道具も手放して、流浪の民となるのです。しかしこれを、世界宣教のきっかけとなったと、肯定的に受け取って聖書は記してあります。使徒言行録18節に「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」とある、地の果てへの宣教が始まったのです。サマリアの北・フェニキアから海を渡りキプロス島へ行く者もおれば、陸路を更に北上し、シリアのアンティオキアへと行く者もいました。でも最初は、ユダヤ人にのみ福音を語ったとあります。イエスがキリストであると語り、受け入れられるためには、旧約聖書のメシア預言の知識が必要だったからです。

 「キプロス島やキレネから来た者」(20)とは、早い時期に祖国イスラエルを離れ、ギリシャ文化圏で生活した「離散のユダヤ人」であります。彼らはギリシャ語を話すというだけでなく、新進の気質を持った人々でした。つまり、民族主義に捕らわれず、グローバルな思考の人々が多かったのです。ですから、国境を越え世界的な見地から、ギリシャ語世界の異邦人にも、主イエス・キリストの福音を語ったのであります。主は約束通り、共に働き、助けてくださったので、イエスを救い主と信じる異邦人が多く起こされました。

 このニュースがエルサレムに届いたので、エルサレムの教会はこれを無視できず、バルナバを派遣しました。それはバルナバがキプロス島の出身(4:36)だったからでしょう。バルナバがアンティオキアに行ってみると、ユダヤ人だけでなく、異邦人も救われ、恵みと喜びに満ちた交わりが生まれていました。バルナバは、このことが一時のブームに終わらないようにと「固い決意をもって主から離れることがないようにと、皆に勧めた。」(:23) 多くの人が急激に救われただけで、教えられ訓練されないと、ブームになってしまうことがあるのです。

 日本でも第2次世界大戦後、キリスト教ブームがありました。私たちの教会もそのような中で誕生したと言ってよいでしょう。1949年に創立し、1年目で牧師も加え20名でした。次の年には受洗者30名と転入者2名、更に次の年には27名の受洗者が起こされました。伝道会を開くと200数十名集まるのに、現住倍餐会員も、礼拝も30~40名で、50名に届くことはありませんでした。これは、固く留まらず、すぐに去ってゆく人も多かったことを示しています。

 アンティオキアの教会はバルナバが加わり、益々、多くの人が主へと導かれましたが、バルナバは信徒教育の大事さを感じたのでしょう。その時、心に浮かんだのが、当時、イスラエル随一の学者であったガマリエルの門下生で、将来を嘱望されていた人物。そうです、復活の主に出会い、キリストの迫害者から、宣教者へと変えられたサウロ。バルナバがエルサレムの使徒たちに執り成し、認知してもらったサウロです。彼が今、故郷のタルソスに引き篭っていることを思い出し、捜しに行き、アンティオキアへ連れてきました。こうして、霊による伝道と、教育の両輪がかみ合い、信徒が増し加わるだけでなく、キリスト者として整えられ、成長しました。彼らの生活はキリスト一色でした。彼らの口から出る言葉も「キリスト様がもうすぐ、又来るよ」「キリスト様のおかげ」「キリスト様が助けてくださった」「キリスト様の守り」「キリスト様、助けてください!」彼らはキリストの愛の心で生きようと精一杯励んでいました。そのような彼らの姿を見て周りの人々は「あなたたちは、何でもキリスト様ね。キリストバカじゃないの!」キリスト野郎!クリスチャンだ!と呼んだのでありましょう。「弟子たちが初めてキリスト者とよばれるようになった」(:26)は蔑みの言葉であったかもしれません。しかし、彼らはそれを誇りとし、名誉ある呼び名としたのであります。

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