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礼拝説教要約(2016619日)

「神の国の継承者」       聖書・使徒言行録19120

 イエス様の福音とは何でしょうか。神の国の福音であります。キリスト教の信仰をもっている人は「神の国」と言われて、その意味を理解できるでしょうが、私たちの周りの人は分からないのではないかと思います。なぜなら、かつて「神国日本」という考え方があったからです。

 聖書の言う「神の国」とは、神が共におられる所です。天地創造の神が「見て、はなはだ良かった」と言われた、調和の取れた世界です。人間の考えることが出来る最も幸福な状態と言えるでしょう。人間(アダムとエバ)がサタンの誘惑に負け、自分中心の知恵で生きるようになった時、この神の国から追放されました。この世は罪人となった人間のさすらいの地であります。でも、イエス様はこの神の国を語るだけでなく、御自分の命を懸けて、地に神の国をもたらしてくださったのです。このイエス・キリストの福音を、感謝をもって受け取った人が、もう一回、神との関係を回復した「神の子」と呼ばれるクリスチャンです。あなたも神の子です。そして、神の与えてくださった神の心「愛」もって交わるところが神の国です。教会は不充分とは言え、キリストが地上に造った神の国です。だから「み国を来たらせたまえ。み心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」と私たちは、イエス様が教えてくださった主の祈りを祈り続けるのです。

 この神の国の継承者はあなたであり、この教会なのであります。

 パウロが3回の伝道旅行で一番長く留まって福音を伝え、弟子たちを育てた所がエフェソであります。エフェソは小アジアにあるローマの属州・アジア州の首都であります。また、豊穣の女神アルテミスの神殿のある場所として栄えた町でありました。このエフェソに最初に伝道したのはアポロでありました。彼はイエス様を旧約聖書に記されている救い主として受け入れており、イエス様のことについて語っていましたが、福音としては不充分でした。(18:24~25) 丁度この頃、パウロとコリントで寝食を共にしたことのあるプリスキラとアキラがエフェソに居ました。彼らは信徒ではありましたが、パウロから福音を良く聞いていたのでしょう、アポロにもっと正確にキリストの福音を語りました。(18:26) 彼らのように、信徒であっても、若い未熟な教師を教え励ます信徒に成長して欲しいと思います。でも、信徒の語ることにしっかり耳を傾けたアポロの誠実さと謙遜は、彼を更に大きな伝道者へと育てました。私も彼に倣う者でありたい。

 その後、パウロがエフェソに来ました。でも、この時、プリスキラとアキラ夫婦も、アポロもエフェソでの滞在は短かったようで既におりませんでした。十分な教えを受け切れていないエフェソの人々は「聖霊を受けましたか。」という質問に「聖霊があるかどうか」(:2)さえ聞いたことなく未熟でした。そればかりでなく、会堂に集まるユダヤ人たちの多くは、頑なに福音を拒みました。パウロはユダヤ人伝道にくぎりをつけ、異邦人伝道のためティラノの講堂(学校の前身)で伝道しました。パウロはエフェソがアジア州の首都であり、人々が集まってくる、伝道に絶好の場所であると判断して、腰をすえて伝道したのです。2031節には「わたしが3年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。」と決別説教をしています。パウロの1箇所での伝道期間の多くは数週間というものだったようです。ですから彼のエフェソにおける3年は特別に長く、伝道情熱が伝わってきます。この間に、エフェソ教会は神の国を継承する教会として大きく成長しました。ですから、パウロがローマに囚われの身でありながら、エフェソの信徒たちに書いた「神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。」(エフェソ1:3)と書きだす手紙は、最も崇高な書と言われています。

「アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシャ人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった。」(:10)だけでなく、真似をする祈祷師まで現れました。でも、そのような偽者がかえって懲らしめを受けることになり、パウロの伝道は大いに進みました。しかし信仰に入った者が、パウロの弟子になったわけではありません。「主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していった。」(:20)とあるとおり、主の弟子、キリスト者となったのであります。そして、パウロの同労者として、神の国をアジア州に広める中心教会の役割を果たしたのです。

私たちもこの横浜岡村教会が、更に、主の体なる教会として成長し、神の国を証しする教会でありたく思います。梅沢先生の教会、野沢先生の教会、安藤先生の教会ではありません。牧師はいつか移って行きます。その教会を支えるのは信徒なのです。だから一人一人が教会の働きの継承者となる自覚が大事です。その点、私は恵まれてきたなと思います。幸い、大三沢教会でも、更生教会でも、役員として奉仕してくださった人や、洗礼を授けた人が献身し、今、伝道者として奉仕しています。岡村教会も、自分たちは主の弟子との自覚が強められ、神の家族としての交わりを深めるとき、主は更に祝してくださるでしょう。

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