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礼拝説教要約(201694日)

「信仰が無くならないように」聖書・ルカ福音書2231~3454~62

 今日の前半の聖書箇所は、最後の晩餐の場であったイエス様とペトロの会話です。このときの晩餐は静かな雰囲気の中で行なわれたのではなく、「誰が一番偉いか」等、議論している(:24)、わさわさした状態で行なわれていました。

イエス様が小声でペトロと話した言葉は、周囲の人々には、たぶん聞こえていなかったでしょう。「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(:31~32)

「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております。」と、すべてを主イエスに懸け、共に死んでもよいとの覚悟をもって、イエス様につき従い3年。この言葉はペトロの本心だったでしょう。(あなたも生涯、主に従ってゆく覚悟がありますか?)でも、心がくじけた時の、人間の弱さ、心の深みについては、ペトロも未だ知らなかったのです。

これこそ、イエス様がペトロに課した最後の訓練だったのです。一方、イエス様は最後の試練であり、又そのために来られた使命、捕らえられ、十字架につけられるヴィアドロローサ(苦難・悲しみの道)を行かねばなりません。これからはもう、弟子たちを助けることも、助言することも出来なくなるのです。ペトロ自身、弟子たち自身が決断し、選び取って、この世での歩みをして行かねばならないのです。そのために未だ知らねばならないこと、訓練が必要でした。

 イエス様は逮捕される時でさえ、弟子を守るため進み出て「わたしである」重ねて「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」(ヨハネ18:5,8)と言われました。しかしペトロは我が身を守るため「わたしはあの人を知らない。」(:57)無関係だと言ったのです。

 しかし、捕らえられた後、大祭司の家で「主は振り向いてペトロを見つめられた。」(:61)とあります。これは「どうだいペトロ。心の深みに隠れている自分の弱さを知ったかい。」と、とがめるためではなく、愛の眼差しを向け「あなたのために、信仰が無くならないように祈った」のは、このためだったのだよ!と言いたかったのでしょう。晩餐の場での、小声での会話、「目は口ほどにものを言う」といわれる目での会話でした。それを知る者は誰もいません。しかし、ルカがこのことを書いているということは、ルカは知っていたということです。イエス様の弟子でもなかったギリシャ人のルカが、どうして知り得たのでしょう。それはペトロ自身が、自分の失敗とそれにより示されたしエス様の愛、そして、自分が変えられたことを悟ったから、話さずにはおれなかったのでしょう。

 Ⅰペトロの手紙はパウロが伝道した小アジアの教会の人々へ書いたものです。パウロのこの小アジアへの伝道にシラス(シルワノ)は同道しました。そしてこの伝道旅行中、「マケドニア州へ渡って来て」とパウロに告げた人物がルカだったと言われています。その時からシルワノとルカは親しい同労者として福音宣教に仕える者になりました。又、ペトロもシルワノと親しい間柄にありました。Ⅰペトロ512節に「わたしは、忠実な兄弟と認めているシルワノによって、あなたがたにこのように短く手紙を書き、勧告をし」と書いています。このようなシルワノとの関係を仲立ちとして、ルカはペトロの、イエス様を裏切った悔い改めの出来事を聞いたのでしょう。  

又、Ⅰペトロの手紙は、厳しい試練と耐え難い迫害の中にあるユダヤ人の改宗者を、励ますため書かれた手紙とも言われています。ペトロは主を裏切りましたが、主のお言葉どおり、立ち直りました。苦しい経験をしたからこそ、試練の中にある人々の心が理解でき、励ますことの出来る人に変えられたのです。

 ペトロが「そして外に出て、激しく泣いた。」(:62)その涙は何だったのでしょう。涙には色々あります。嬉し涙、悲しみの涙、痛いゆえの涙、辛い涙。でもペトロは自分の弱さに対する「悔いの涙」でした。そして、裏切った弱い自分をさえ、愛し続けてくださるイエス様の眼差しにある愛。それに対する感謝と嬉し涙でもあったでしょう。

 私たちの罪、弱さを知りつつ、イエス様は私たちを救ってくださいました。そしてイエス様は、今、私たちのためにも、「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と祈り続けてくださっているのです。

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