行事案内

礼拝説教要約(2016911日)

「こころの友伝道五つの実際」     聖書・フィリピ3:12~16

 第63回こころの友伝道全国大会の特別講師であられた藤井圭子先生は、広島大学医学部を出た医師でありますが、出家し、女僧になられました。死に出会い小さい頃から永遠なもの、真理とは何かを求める思いが強かったからだそうです。しかし、仏教の中にそれらを見出せず還俗。キリスト教に出会い変わることのない真理を見出した。そして真の平安を体験した。試練にも多く遭われたが、その苦難の一つ一つが、キリストにあって慰められ、導かれ、乗り越えさせていただいた証しになっている。そのご自分の証しを、今も変わらない感動と共に語ってくださった。それらは皆、本になっているので読んでください。

 今日は、私が担当した講演内容をかいつまんでお伝えしたいと思います。

「こころの友伝道奉仕者の資格」と言われると、私にそんな資格があるのかと、不安になる人がおられますか?

 ほんとうのところ私は「資格」と言わなくても良いのでは?と思っています。かえって「キリスト者は皆、こころの友伝道奉仕者なのだ!」と言いたい。「基本のⅠ」で言われているとおり、「福音の宣教は教会に託された使命」であります。救われたあなた、あなた、私が使命を担う教会です。この救われた人々の交わりの中に主は共に居り、そこが教会です。

 でも、福音を伝えるに、自分の不充分さを覚えます。更に成長することを願います。その思いが、今日読んでいただいた聖書の箇所です。誰でもが認める伝道者パウロでさえ「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。」と言っています。

 伝道は技術であるよりは、その人自身の生き様です。訪問伝道を日本へ紹介してくださったスタンレー・ジョーンズ師は、1949年、戦争で疲弊しきった日本へ来ました。戦争が起きないようにとアメリカの大統領に進言し、日本の天皇宛に、戦火を交えることの無いようにとの親電を書いてもらったのも彼です。しかし不幸にして大戦になってしまいましたが、それを憂え、日本を慰め希望と力を与えるために、福音を伝える全国縦断伝道をしたのでした。第2回目の来日(1951)のとき、自分が福音を伝えるだけでなく、日本のキリスト者自身が伝道できるようにと、H・マコンネル師を同伴して伝えたのが訪問伝道方式だったのです。そして1953年の第3回来日のときには、既に日本基督教団でも、又、NCCでも訪問伝道委員会が創設されているのを見ました。しかし、訪問伝道奉仕者自身の霊的成長の必要を感じたのでしょう。1955年の第4回来日のとき、霊的成長のために「アシュラム」を紹介したのでした。

 アシュラムの原則に「アシュラムの目的は何かと言えば、私たちを真のキリスト信者に作り変えることにある。キリストを信じているに違いないが、単なる信者に止まり、真の弟子になっていないという反省が出発点である。」とあります。

 皆さんは五つの実際のⅠの(1)忠実な会員であること。「福音の喜びを味わい、洗礼を受け会員となり、忠実な教会生活を送る者であること」とある、まさにその人だと思います。でも、あなたの教会の礼拝出席は教会員数の何十%でしょう。私共の教会では70%位しか出席していません。そして、それに近い別帳会員という、3年以上、教会に来ていない人々がいます。それだけではありません。私が横浜岡村教会に赴任した時、120名ほどの別帳会員がいました。できるだけその人々を訪問しましたが、多くはその住所に住んでいませんでした。そして、156年経った時、教会員にも別帳の人々の住所、消息を尋ね、誰も知らない人を教会員名簿から削除しました。これらの人は主にお委ねせざるを得ませんでしたが、80名ほどを除籍したのです。忠実な教会生活を送ること無くして、主に喜ばれる者になることは出来ません。

 (2)「この奉仕のために使命を感じ、主イエス・キリストを仰ぎつつ、求道者にこころの友として仕える決心をすること」とあります。これは、主キリストが命を懸けて愛してくださったことを体感している真の弟子となるなら自然なことです。主イエス様の願いは一つ「あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい。」(今回の聖句・ルカ10:27)です。キリストが愛したように、隣人を愛する心を持つ。その心をもって、つまり、こころの友として仕えるようになるのです。

 私の場合は、それが伝道者への献身となりました。学校の教諭として生徒や保護者に多く関わる立場に置かれたことで、「学校教育より、心にかかわることが、私の使命ではないか!」と示されたのでした。そしてそのように生きることが、自分自身、神の恵みに預かることだと信じ、今を生きています。

 Ⅱ「こころの友伝道奉仕者としての生活設計」とは、一言で言うなら、自らがキリスト者として整えられることです。「生活を工夫して、奉仕の時間を生み出すこと」とありますが、キリスト教は交わりの宗教です。愛なる神と交わり、そこで与えられた心をもって友と交わる。アシュラムで言うなら「静聴の時」つまり、ディボーションの時間を生活の中に確保することです。そうすれば、心の友のために献げる時間を生み出すようになります。

Ⅲ.「こころの友伝道奉仕者の受け持つ対象」は、昔のように、家庭を1軒一軒訪問して、求道者を得るという教会は、あまりないでしょう。私どもの教会では、ランチョンやチャペルコンサート等、求道者を得る集会を催します。それと、決心者を募る特別伝道集会。こころの友伝道はこの間にあります。教会に、3,4回来られた人を対象者として、先ず、担当希望を取ります。でも、性別、年齢、その方の事情を考慮して、最終的には牧師の責任で決定しています。Ⅰで記した、長期欠席者は最も有望な対象者といえましょう。

新着情報











Copyright(c)Okamura Church All Rights Reserved.