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礼拝説教要約(20161030日)

「この戦いは主のものだ」   聖書・サムエル記上174150

 アダムとエバは、神の言葉に従うよりは自分の知恵で生きようとしました。それは知恵あるように見えながら、神を無視した高慢という滅びの道です。高慢は人間にとって最後まで残る罪とも言われております。

 それ故、神の民イスラエルの最初の王は、謙遜で控えめな人物として、サウルが選ばれたはずでした。しかし、サウルは自分の王位が確立すると、高慢になり、主の言葉より自分の考えを優先しました。そのため「主が喜ばれるのは、…主の御声に聞き従うことではないか。…反逆は占いの罪に、高慢は偶像崇拝に等しい。主の御言葉を退けたあなたは、王位から退けられる。」(サムエル上15:22~23)とサムエルにより主の裁きを言い渡されます。でも、「民の長老の手前、イスラエルの手前、どうかわたしを立てて、わたしと一緒に帰ってください。そうすれば、あなたの神、主を礼拝します。」(15:30)と懇願したサウルは、形だけは、いぜん王でありました。

 しかし、主はダビデを次の王と定め、サムエルをして秘かに、神が王として定められた印の油注ぎを致しました。しかしその後も、ダビデはエッサイの8番目の息子として、羊飼いの生活をしていたのです。そして彼は竪琴を巧みに奏でる者でもありました。

その頃、聖霊が離れてしまったサウル王は、悪霊にさいなまれておりました。王の気分を良くするために、竪琴の名手を捜していた家臣は、ダビデが竪琴を巧みに奏でることを聞きつけました。さっそくダビデは、サウル王の心を静める者としてサウル王に仕えるようになりました。王に仕えるといっても、サウルが悪霊に悩まされる時のみであり、常には、ベツレヘムの野で羊を飼い続けました。

士師時代に、12の部族は嗣業の地の大部分を征服し、約束の地内での混乱はあまりありませんでした。そして王国となったこの頃は、外敵ペリシテ人との戦いが激しくなっていたのです。このペリシテ人との戦いが、ダビデが公に戦士として人々に認められる初陣となりました。

ダビデは父の使いで、戦場にいる兄たちの所へ食料を届けに来ました。そこでペリシテ人ゴリアトの「今日、わたしはイスラエルの戦列に挑戦する。相手を一人出せ。一騎打ちだ。」(17:10)と呼ばわる声に、イスラエル人の怯えている姿を見ました。なぜなら、このゴリアトは身の丈3m近くもある巨人の戦士だったからです。しかしダビデは、創造主なる神を侮る言葉を聞き、生ける神の戦列に戦いを挑んでいるペリシテ人ゴリアトに憤りを覚え、戦うことを決意します。しかし、ダビデがどんなに勇気が有ろうと、そのままで国を代表して戦うことは出来ません。競技であるオリンピックさえも、国の威信をかけて競うために、代表選考に勝って、選ばれなければなりません。まして、負けたら奴隷とならなければならない、一国の生死をかけた戦いなのです。しかし、ダビデの言ったことを聞いて、サウル王に告げる者がいました。サウル王の前に呼び出されたダビデは「獅子の手、熊の手からわたしを守ってくださった主は、あのペリシテ人の手からも、わたしを守ってくださるにちがいありません。」(17:37)と言うダビデの信仰を見て、「行くがよい。主がお前と共におられるように。」(:37)と、王はダビデが戦うことを許したのです。

戦いの場に出て行ったダビデの武器は石投げ紐と5つの石でした。でも、万軍の主なる神に対する信仰こそが最高の武器だったと言えましょう。この信仰は、イスラエルの民が出エジプトをし、約束の地に入ろうとした時、ユダ族の斥候としてカナンの地を探ったダビデの祖先・カレブの信仰と同一のものでした。カナンの地を偵察し、恐れる他の部族の斥候と違ってカレブは「断然上って行くべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます。」(民数記13:30)と進言しました。それは、主が我々と共に居られるとの信仰が有ったからです。師士たちの戦いに於いても、主が先頭に立って戦われるという歴史を経験してきました。ダビデの勇気の源は、この「主がわたしと共に」という信仰だったのです。ダビデの「この戦いは主のものだ」との信仰どおり、主はダビデと共に戦い、勝利を与えてくださいました。

信仰による戦いは、個人の戦いでは有りません。自分のための戦いではありません。神の国を築き、神の栄光を顕す戦いです。「今日、主はお前をわたしの手に引き渡される。…全地はイスラエルに神がいますことを認めるだろう。」(:46)この神の国を築くという使命は、イスラエルの父祖・アブラハムに与えられたものでした。偶像文明から脱出し、神のみ旨を生きる世界を築く。それは自分の欲望を満たすための偶像を一掃する戦いです。それはまた、主の言葉を信じ、イエス様を通して知った神の愛を生きる戦いです。今も同じこの戦いを、私たちは「この戦いは主の戦い」だから、必ず勝利するとの信仰をもって戦いましょう。

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