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礼拝説教要約(20161225日) 
「あなたがたの救い主」
      聖書・ルカ福音書2821

 昨夜のクリスマスイヴ礼拝は、御言葉と讃美と光の満ちた礼拝でした。光が闇の中に輝いています。この礼拝は光と表現される神の御子の出現を祝うものです。光は人間の目に見える最初のもので、全ての被造物の根源です。創世記にある天地創造の記事に「神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。」(1:3)とあります。光がなければ命は生まれません。植物も育ちません。でも、命を生み出し、育んでゆくこの光を創造されたお方が、私たちの主なる神です。その主なる神の霊を直接吹き込まれ、生きるものとなった人間、私たちは何と素晴らしい存在でしょう。光が内にあるのですから。「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」(ヨハネ1:4) 主なる神との交わりがあるなら、命が、希望が輝きます。  

しかし、人間が内なる霊を無視したとき、心は闇となり、罪が支配しました。

 そのような罪ゆえ闇となっている世界で、最初に光なる神の子・救い主の出現に気付いたのは、東の国の博士たちでした。彼らは古い文献を研究するうちに、世界の救い主が星の出現によって示されることを知ったのです。そしてその星が現れたことにより旅立ち、星に導かれ、エルサレムに来たのです。でもそれより先に、神の子・救い主を見たのは羊飼いたちでした。彼らは、闇が勢力を持つ世界で、虐げられ、蔑視されている、世の片隅に追いやられている人々でした。しかし、そのような中で自然と交わり、空を見、星の光の下で生活していた彼らには、神への純粋な信仰があったのでしょう。導きの星について知らない彼らには、主の天の使が現れ、「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(:10~11)と告げたのです。

 この救い主の誕生は「民全体に与えられる」ものです。イスラエルの民だけでなく、「あなたは…祝福の源となるように。…地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」(創世記12:2~3)とアブラハムに約束されたように。また、「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」(Ⅰテモテ2:4)とあるとおり、全人類の救いです。神は、人間が神に立ち返ることを願っておられます。そのため、「あなたがたの救い主」として、御子は人間の姿で、この世においで下さったのです。

 御子を受け入れようとしないこの世は益々、暗くなって行くことでしょう。今、世界はそのような状態を表しています。自分中心に考え、行動する者が力を得、勢力を強めています。かつて、日本帝国が国粋主義に陥ったように、いま又、キリストの救いと愛を、多くの人が知っているはずのEU圏もアメリカも国粋主義が勢力を強めており、それは益々、広がる傾向にあります。

 しかし、失望してはなりません。闇が濃くなった時こそ、真の光なる救い主がおいでになるのです。今度は、救い主としてではなく、裁き主としておいでになるのです。でもそれが、救いの完成の時なのです。

 天使が「いと高き所には栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」(:14) と讃美したように、神の栄光は永遠に変わることなく天にあります。そして真の平和は、救い主イエス・キリストを心に持つ人々にあるのです。

 このような時代に、御言葉によって、今までの生き方と違う、心の世界のあることを知って、救い主イエス様を受け入れる人がいることを嬉しく思います。今まで語ってきましたように、闇の勢力が力を増してくる中で、クリスチャンとして生きることは試練もあります。この世の新興宗教なら「この宗教に入れば、もう何も困難はありませんよ。全ての問題が解決されて、良いことばかりです。」というかもしれません。しかし、闇であるこの世が、キリストを迫害したように、2000年に亘ってクリスチャンが迫害されてきたように、困難があることを覚悟しなければなりません。

でも、生まれた「幼子はイエス(罪から救う)と名付けられた。」(:21)ように、必ず、罪の暗闇に勝利させて下さいます。このようなお方が、あなたがたの救い主なのです。今日、イエス様を救い主と告白して、心に受け入れる受洗者のために、主の守りと祝福を祈りましょう。

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