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礼拝説教要約(2017226日)

「主なる神を信じて」       聖書・列王記下19119

 人は、誰に学び、誰により頼むかによって、その人の道は定まると言っても過言ではないでしょう。

 ヒゼキヤは南ユダ王国の王子として生まれましたが、状況は大変厳しく、悲しいものでした。それは、国が主なる神の怒りを招く状況にあったからです。主の神殿の扉は閉じられる一方、国中に偶像が満ちていました。父アハズ王は死んだ時、「アハズは先祖と共に眠りにつき、エルサレムの都に葬られた。しかし、その遺体はイスラエルの王の墓には入れられなかった。」(歴代誌下28:27)と記されるほど、主なる神の目にかなう正しいことを行わず、南ユダ王国最悪の王でありました。北イスラエル王国との関係も悪く、近隣諸国とも戦いがありました。窮地を免れようと大国アッシリアの援助を求めましたが、アッシリアは援助するどころか、かえって、攻めて来て、南ユダ王国は属国とされました。「アッシリアの王ティグラト・ピレセルはアハズを援助するどころか、攻めて来て、彼を苦しめた。」(歴代誌下28:20) そして、毎年、貢物を献上しなければならなかったのです。また、北イスラエル王国も風前の灯でした。「アッシリアの王はこの国のすべての地に攻め上って来た。彼はサマリアに攻め上って来て、3年間これを包囲し、ホシェアの治世第9年にサマリアを占領した。」(列王記下17:5~6) この北イスラエル王国の滅亡は、ヒゼキヤが南ユダの王となって6年目でありました。

 このような過酷な状況下で王となったヒゼキヤは、「聖なる高台を取り除き、石柱を打ち壊し、アシェラの像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた。」(列王記下18:4) ヒゼキヤの偶像排除の徹底振りは、ネホシタン(出エジプトの荒野で、不信仰に陥ったイスラエルの民に裁きの災いが起こった。悔い改め、モーセが執り成しの祈りを捧げたとき、神が命じたとおりに造られた青銅の蛇。これがいつしか偶像となっていた。)をさえ壊すほど激しいものであった。そして神殿を清め、過越の祭りを復活させました。(歴代誌下30) そして「彼はイスラエルの神、主により頼んだ。その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また彼の前にもなかった。」(列王記下18:5)と記されるほど、最も優れた王、信仰者となりました。ヒゼキヤがこのようになり得たのは、主なる神により頼み、その御旨を求め、預言者イザヤの声に聞き従ったからです。

 アッシリアがセンナケリブ王に代わった時、ヒゼキヤはアッシリアへの朝貢を廃止しました。それを怒り、センナケリブは南ユダ王国を攻撃してきました。戦いはできるだけ負傷者、戦死者等の損失を少なくするため、心理作戦を展開します。それは民の戦意を削ぐことでした。アッシリアの将ラブ・シャケは「ヒゼキヤにだまされるな。彼はお前たちをわたしの手から救い出すことはできない。…わたしと和を結び、降伏せよ。そうすればお前たちは皆、自分のぶどうといちじくを食べ、…やがては、お前たちをお前たちの地と同じような地、穀物と新しいぶどう酒の地、パンとぶどう畑の地、オリーブと新鮮な油と蜜の地に連れて行く。こうしてお前たちは命を得、死なずに済む。」(列王記下18:29~32)と、脅しと甘言をもって降伏を迫りました。しかし、民はヒゼキヤ王を信頼し、「押し黙ってひと言も答えなかった。」(列王記下18:36)これは賢明な選択です。アダムとエバが罪に陥り、神から離れたのも、誘惑の言葉に対応し、言い逆らうつもりが逆に罠に落ちたのでした。人は自分の力を過信するとき、サタンの罠に陥るのです。

 ラブ・シャケの言葉を聞いたヒゼキヤ王は「衣を裂き、粗布を身にまとって(この行為は、心が張り裂けるほどの苦渋の現れです。そして、苦しみ、悔い改めの心をもって)主の神殿に行った。」(:1) そして王の側近たちも預言者イザヤの祈りと主の託宣を求めました。これが大事です。ここにこそ唯一の、決定的な祝福の道があります。

 ラブ・シャケの「諸国の神々は、それぞれ自分の地をアッシリアの王の手から救い出すことができたであろうか。…サマリアをわたしの手から救い出した神があっただろうか。国々のすべての神々のうち、どの神が自分の国をわたしの手から救い出したか。それでも主はエルサレムをわたしの手から救い出すと言うのか。」(18:33~35)との言葉は正しい。確かにアッシリアは強く、サマリアも含め他の国々を征服しました。しかし、イザヤは「アッシリアの王の従者たちがわたしを冒瀆する言葉を聞いても、恐れてはならない。」(:6)と言います。なぜなら「その神々を火に投げ込みましたが、それは神ではなく、木や石であって、人間が手で造ったものにすぎません。彼らはこれを滅ぼしてしまいました。」(:18)とあるごとく、偶像の神々には、救う力はないのです。

 しかし私たちの神・主は全てのものを造り、保持しておられるお方です。主なる神はアッシリアを退け、地上の全ての国民に栄光を現されました。

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