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礼拝説教要約(2017820日)
「みことばによって生きる」    
聖書・Ⅱテモテ31017

 私に聖書を読む機会が与えられたのは、大学に入学してすぐの頃でした。そして、聖書を読んで、すぐに示されたことが傲慢と罪でした。それまでの私は自分を傲慢、罪人とは認識していませんでした。どちらかというと、善人、まじめな方だと考えていました。でもそれは自分を他者と比較していたからです。そして、私は他の人の過ちを見ては「何んであの人は、あんなことをするのだろう!」と心の中で裁いていました。でも、そのように裁いている自分を傲慢だと認識していなかったのです。だから、聖書を読んで自分の内にある醜さを認識させられた時、「しまた、聖書を読まなければ良かった!」と一時は思ったこともありました。でも幸い、聖書は罪と共に、罪の赦しをも教えてくれました。そして私を、キリストを信じる信仰へと導いてくれました。

 それは、新しい命を生きるという道でした。聖書を読む前の道は、自分で考え、決定し、自分にとって都合の良い道でした。しかし聖書は「人が見て自ら正しいとする道でも、その終わりはついに死に至る道となるものがある。」(箴言14:12口語訳) また、「滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。」(マタイ7:13)とあります。これらは「赤信号、皆で渡れば怖くない」で、うすうす悪い事とは気付きながら、大多数が行なっていることだから、大丈夫だろうと、曖昧にしているのです。

 これは先ず、アダムが陥った道でした。神の言葉を曖昧に聞き、自分の考えを中心とし、ついには、エデンの園から追放され、神からますます離れて行く道です。人間の祖であるアダムとエバが罪に陥り、未だ解決が与えられていないのですから、聖書は「正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行なう者はいない。ただの一人もいない。」(ローマ3:10~12)と言うのです。そのような人間の滅びの道を修正しようと、神は洪水をもって裁きました。それは、罰と言うよりは警鐘を鳴らしたのです。そのままにしていたら滅んでしまう人間の中から、ノアとその家族をして、新しい命への道を歩ませようとされたのです。しかしそれでも、神が人の心に見たものは悪でした。洪水の後、ノアの家族が祭壇を築き、神を拝した時さえ、「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。」(創世記8:21)という状態でした。

 そのような人間の罪と滅びの世界から、神はアブラハムを導き出し、信仰を持って歩んだ彼の子孫・イスラエルをして神の選びの民とされました。エジプトでの試練の後、モーセによって導かれた選びの民に、神は律法を与え、命の道を示されました。しかし、結局は、神との契約を守りきれませんでした。旧約聖書全体が教えていることは、人間は神との契約を守りきれず、滅びの道を歩き続けているということです。パウロはこのことを「すべての人の口がふさがれて、全世界が神の裁きに服するようになるためなのです。なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。」(ローマ3:19~20)と言っています。

 私が聖書を読み始めて、傲慢と罪を感じたのはそのためだったのだと解りました。でもそれと共に、私をキリストへと導き、救いの道を示して下さいました。

 今日の主人公テモテは、私と全く違う環境に育ちました。生まれながらにして聖書と信仰のある世界でした。「あなたが抱いている純真な信仰を思い起こします。その信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っている」(Ⅱテモテ1:5)。でも、テモテは自動的に信仰を持ったものになっていたのではなく、祖母と母が懸命に聖書を教え、イエス・キリストを伝え、テモテがそれを素直に受け入れた結果であります。また、テモテの評判を聞いたパウロに見出され(使徒言行録16:1,2)、共に伝道旅行をし、多くの迫害、試練を体験し成長しました。「キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます。」(:12)とあるように、迫害の多い時代ですから、中途半端では信仰に生きることは出来なかったでしょう。日本の明治期の気骨あるキリスト者を連想します。

 日本も宣教150周年を2009年に、振起の時として催しましたから、今年で158年となります。5代目、6代目のクリスチャンもいることでしょう。でも、大分生温くなっているのでは?と危ぶまれます。私の子ども達も3人とも洗礼は受けました。ですから、母系を辿れば善枝が3代目ですから、子らは4代目になります。単に血の繋がりによる信仰継承でなく、各自が霊によって自覚的に信仰を継いで欲しいと、祈り願っています。霊によって生まれたなら、霊の乳である聖書を読み、霊的に成長して欲しいです。「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。」(:16)

 米国16代大統領エイブラハム・リンカーンは9歳で母と死別しまた。母は死に際で「お母さんはあなたに何の財産も残せませんが、この聖書を毎日必ず読んで生きて行くのですよ。」と言ったと伝えられています。母の言ったとおり、リンカーンは毎日聖書を読み、偉業を神への信仰によって成し遂げました。

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