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礼拝説教要約(2017101日)

「いかなる時にも神に信頼せよ」   聖書・創世記1219

 後に、アブラハムと呼ばれるアブラムは「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」(:1~3)との神のことばを聞きました。そして「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。」(ヘブライ11:8)とあるように、行き先も知らずに、ただ神に信頼して旅立ちました。このような勇気と力を与えるのが信仰です。

 皆さんも神からのことばを聞きたいですか? また、聞いていますか。

 もともとアブラハムたちは、チグリス川、ユーフラテス川流域に栄えたメソポタミア文明の中に住んでいました。「イスラエルの神、主はこう言われた。『あなたたちの先祖は、アブラハムとナホルの父テラを含めて、昔ユーフラテス川の向こうに住み、他の神々を拝んでいた。』」(ヨシュア24:2)とヨシュアも告げています。このウルの地は、月神シンの祭儀が盛んだったので、「他の神々」とは月神シンであったのでしょう。「拝んでいた」を口語訳聖書では「仕えていた」とし、文語訳聖書では「事へたり」となっています。これらは、父テラが月神を拝む働きと関係していた事を示しています。事実、イスラム教のコーランには、テラが偶像造りの名人であったことを記しています。そして、聖書とは異なりますが、天地創造の唯一神への信仰を説くアブラムを、父テラが家から追い出したとされているのです。

 でも、ウルで神のことばを聞いたアブラハムは、父テラを説得し、創造主なる神の命じるままに、父をも伴って出発したのでしょう。しかし、父テラは月神シンの信仰者の多いハランまでは来ましたが、それ以上進めない。父思いのアブラハムも父を残しては前進できませんでした。ハランで生涯を終えた父の死を見とどけたアブラハムは、再度、本日の聖句の召命のことばを聞いて、再献身し、神の導きのままに旅立ったのでしょう。それは未経験の、困難の道であることを覚悟の上でありました。神への信頼無しにはスタートできない道でした。でも、アブラハムは神に信頼し、どんな時でも信仰によって歩んだのです。だから「信仰の父」と呼ばれるようになりました。

 「わたしが示す地へ行きなさい」との厳しい命令でも、神が命令を与える時は、又、必ず、倍する祝福を約束くださるのです。そして、神の約束は真実です。

 ここでの祝福の約束は3つでした。①大いなる国民とする。②名を高める。③地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。この③の約束は特別なもので、アブラハムの子孫から全人類の救い主が現れること、つまり、イエス・キリストへと繋がれているものです。

 神はアブラハムだけでなく、全ての人を祝福したいと願っていることが、この聖句からも分かります。だったら、神はすべての人にことば掛けをしておられるはずです。だから、先にした質問をもう一度繰り返します。「皆さんも神からのことばを聞きたいですか? また、聞いていますか。」

あなたは既に、神のことばを聞いています。だからここに居られるのです。そして、聖書こそ神のことばです。「聖書はすべて神の導きの下に書かれ」(Ⅱテモテ3:16)と記されています。でも、多くの人にとって聖書のことばは馬耳東風と聞き流されています。だって、日本でさえ毎年、聖書は70万冊が販売されているのです。そして、キリスト教主義学校に学んでいる人が何と多いことでしょう。そしてそれらの学校では礼拝があり、又、聖書の学びがあるのです。しかし、聖書の言葉は、これらの多くの人には何ら心に響いていないのが、日本の現状です。

だからイエス様も群衆に話すとき「聞く耳のある者は聞きなさいと」言われました。心の耳に神のことばが響く時、人は変えられます。

私も「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」(ヨハネ15:16)のことばで、キリスト者への道を歩き始めました。そして「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」(ピリピⅡ:13口語訳)のおことばによって、伝道者としての道を歩む決心を与えられたのでした。

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