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礼拝説教要約(2017115日)

「神の峻厳と憐れみ」       
   聖書・創世記19129

 清水ヶ丘教会の壮年会修養会での奉仕、テーマ「主の祈りについて」をなさせていただきました。大いに喜んでくださり、良い交わりができました。私自身も久しぶりに主の祈りについて学び、深く黙想でき感謝でした。祈ってくださった皆様にも感謝致します。

 神の民イスラエルが意識している重要な行為が3つあります。施しと祈り、断食であります。このことを、イエス様が話された中に、マタイも書き残しています。マタイの5章から山上の垂訓として説教群があります。多くの教えは旧約聖書にある律法・十戒を説き改めたもので、小見出しには「…してはならない」となっています。でも6章に「…するときには」として、主の祈りを中心に施しと断食について記してあります。

 今日の聖書箇所で、ロトが二人の旅人(主の御使いと知らずに)を迎え入れたのは施しの行為であります。しかし、悪に染まっていたソドムの人々は、御使いを辱めようとして、ロトの家に押し寄せてきました。「今夜、お前のところに来た連中はどこにいる。ここへ連れて来い。なぶりものにしてやるから。」(:5)のことばは、後ろにある「わたしにはまだ嫁がせていない娘が二人おります。皆さんにその娘を差し出しますから、好きなようにしてください。」(:8)とのロトのことばからして、性的にも退廃したソドムの道徳性が読み取れます。戸を破ってまで入ろうとしているソドムの群衆の前で、ロトは体を張り、犠牲を払ってでも旅人を守ろうとします。そのロトを御使いは中へ引き入れ、群衆に目つぶしを食わせました。この目つぶしとは、太陽よりも明るい光の目つぶしでしょう。サウロと呼ばれていた頃のパウロが、キリスト者を迫害するためダマスコ途上で「突然、天からの光が彼の周りを照らした。…サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。」(使徒言行録8:3,8)と同じ、神の光での目つぶしでした。

 では、神が滅ばすことを決断したソドムには、どんな悪が満ちていたのでしょう。ルカはノアの時代の神の裁きを書いた後、「ロトの時代にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行った日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。」(ルカ17:28~29)と記しています。「食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたり」することは決して罪ではありません。日常の生活に必要なことです。しかし、ソドムの人々にとっては、これが全て、これが人生でした。

では、衣食住の豊かさを得ることが人生の目的でしょうか。このような人生は寂しいものです。又、争いに争いを継ぐ経済最優先の、滅びをつむいで来たこの世の姿かもしれません。でも、衣食住を得ることは人が生きる手段です。手段を目的と勘違いして生きる。的外れの人生。聖書ではこれを罪と呼んでいます。では何が人生の目的でしょう。神により真理を知らされ回心したパウロは「あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」(Ⅰコリント10:31)と言っています。

「栄光」とは、なす行為が褒め称えられることによって、その行為者が受ける誉です。人類にとって貢献したとしてノーベル賞を受ける。これはその人にとって栄光です。戦い、権力を得、その国の支配者となる。その人は褒め称えられるでしょう。これはその人の栄光です。しかし、そのようにしてこの世を破壊と汚染、滅びへと向かわせている。それがこの世の姿ではないでしょうか。

だから、「人の栄光」ではなく、「神の栄光を現すためにしなさい」と言われているのです。神の栄光とは、神がなさろうとする計画が行なわれて行くことです。衣食住を目的として生きるこの世から出て、神の御計画(天地創造のとき、良しとされた調和の取れた、命を育む世界・神の国を造る)のなるようにと、主の御旨を生きる、これは神の栄光です。パウロは「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」(ローマ12:2)とも言います。

 神は、アブラハムの祈りを聞き、ロトの信仰を見て憐れみを給いました。しかし、神の栄光を全く無視し、衣食住を人生の目的として、自分の栄光を求めたソドムを天よりの火と硫黄で滅ぼしたのです。ソドムの生活に未練を残し、懐かしんで振り返ったロトの妻も裁きを受けました。かつて大いなる繁栄を得たソドムの街は、聖書にあるとおり、火に焼き尽くされ、灰と硫黄に包まれた瓦礫の遺跡として発掘されています。私たちは神が大いなる憐れみをもって待っていてくださることと共に、罪を赦さない峻厳なるお方であることを心に留めたい。

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