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礼拝説教要約(20171126日)

「神への信頼に生きる」       聖書・創世記241127

 本日で8週にわたって、「神の友」「信仰の父」と呼ばれたアブラハムの生涯とその信仰について見ることになります。

 アブラハムは「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。…地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」(創世記12:23)との約束を得ました。そして、どこに行くのかわからないままに、ただ神の言葉に従って、約束の地へと旅立ちました。

アブラハムが最初から、偉大な信仰者だったわけではありません。試練と失敗を経つつも、主なる神に対する信仰を成長させたのです。彼の妻サラは年老いて不可能と思われたにもかかわらず、約束されていた子孫イサクを90歳で産みました。そして、イサク37才の時、天に召されました。アブラハムは独り子イサクに、早く嫁を見つけなければならないと思いました。でも、アブラハムには嫁となる女性に対しての条件が2つありました。それは神との契約でもあり、度々、預言として御使が語ったことでもありました。主の御使いがイサクの誕生預言のため訪れた時にも更新されています。神の側からするなら、アブラハムを多くの国民の父、祝福の源とするとの祝福であります。アブラハムの側からするなら、神の御ことばを生きることであります。だから「わたしがアブラハムを選んだのは、彼が息子たちとその子孫に、主の道を守り、主に従って正義を行なうよう命じて、主がアブラハムに約束したことを成就するためである。」(創世記18:19)と、神もまた、アブラハムに信頼を置いていたからであります。

それ故、嫁捜しの第1の条件は、同じ神への信仰を持っていることでした。だから偶像崇拝をしているカナンの女性ではなく、同じ神を信じ、同じ信仰に立つ一族のいる地から嫁を迎えるため、信頼している僕を嫁捜しに遣わします。「わたしの一族のいる故郷へ行って、嫁を息子イサクのために連れて来るように。」(:4)と言い含めました。もう一つは、どんな困難があっても、約束の地で、神を信頼して生きてゆくことです。「決して、息子をあちらへ行かせてはならない。天の神である主は…『あなたの子孫にこの土地を与える』と言って、わたしに誓い、約束してくださった。」(:6~7)とアブラハムは僕に言っています。僕はこの2つの条件を満たす女性を捜す旅へと出発します。

僕はアブラハムの出した条件に合う女性を見つけられるか不安がなかったわけではありません。でも、僕もまた、アブラハムから信仰の感化を受けている者でした。アブラハムの、「その方がお前の行く手に御使いを遣わして、そこから息子に嫁を連れて来ることができるようにしてくださる。」(:7後半)との信仰を受け継いでいました。そして、アラム・ナハライムに着いた時、先ず、主の導きを祈りました。神に祈り、神に聴く、これが祝福を受ける秘訣です。

僕の祈ったことは、イサクの嫁となる女性の品性でした。その祈りとは「この町に住む人の娘たちが水を汲みに来たとき、その一人に、『どうか、水がめを傾けて、飲ませてください』と頼んでみます。その娘が、『どうぞ、お飲みください。らくだにも飲ませてあげましょう』と答えれば、彼女こそ、あなたがあなたの僕イサクの嫁としてお決めになったものとさせてください。」(:13~14)でした。この祈りには①見ず知らずの老齢者にも親切である人。②良く気が付き、思いやりのある、配慮の行き届いた人。③子孫を残す必要から、健康な人。との考えがありました。僕が祈り終わらないうちに、この祈りをすべて実現する娘がきました。僕に水を飲ませてくれただけでなく、10頭のらくだも疲れ喉が渇いていることを察して、何回も何回も忍耐強く、泉まで上り下りして水を与えてくれました。

「この娘なら良いなー」と僕は思ったことでしょう。しかし、何よりも大事な条件がありました。同じ神を信じる信仰者です。僕は「あなたは、どなたの娘さんですか。教えてください。」(:23)と尋ねました。「すると彼女は、『わたしは、ナホルとその妻ミルカの子ベトエルの娘です。』」(:24)と答えました。僕は「主はわたしの旅路を導き、主人の一族の家にたどり着かせてくださいました。」(:27)と感謝を祈りました。主の導きの確かさ。確かに主は、最善を備えたもう神です。僕は神の真実とご愛に感謝し、祈りを捧げずにはおれませんでした。

その娘リベカに案内され、家に行った僕は、事の次第をリベカの親兄弟に詳しく語りました。そして皆が、この出会いは主の導きであると確信したのです。

リベカもまた、全く知らない地、未だ会ったこともない人物との結婚でしたが、主の導きと信じて受け入れ、イサクの待つ地へと旅立ったのです。彼女もまた、神への信頼に生きる人でした。私たちも、主が置いてくださっている場所と状況の中で、どんな困難があっても、「主が、わたしをここに遣わしたのだ」と受け止め、主を信頼して生きてゆきましょう。

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