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礼拝説教要約(201712日)

「救い主誕生の預言」                     聖書・イザヤ書8239:6

 預言者イザヤが活動した期間は長く、BC.770年からBC.677年です。この時、南ユダ王国はウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤという4代の王に亘っています。その間、主に聞き従わない北イスラエル王国はアッシリアにより滅亡(BC.720)しました。でも、イザヤを通して語られる主の言葉に信頼したヒゼキヤ王の治める南ユダ王国は、アッシリアの難を逃れることができました。

 これより一代前のアハズ王の時代、北イスラエルとアラムが同盟を組んで南ユダに攻めて来ました。「アラムの王レツィンとレマルヤの子、イスラエルの王ペカが、エルサレムを攻めるため上ってきた」(イザヤ7:1)。残念ながら、アハズ王はこの世的に物事を考え、偶像崇拝をする王となっていました。しかし神は、ダビデとの約束の故に、南ユダとエルサレムを忘れることなく、救い主誕生の預言をアハズ王にされました。「わたしの主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産むみ、その名をインマヌエルと呼ぶ。」(:7:14)。それでもやはり、神のことばを信じていないアハズ王は、アッシリアに貢献し、助けを求めました。アッシリアはアラム、北イスラエルを滅ぼし、アラム軍の難を南ユダは逃れました。アハズ王の政策が功を奏したかのように、一時的には見えました。しかし、そのようなものは、後に大きな禍根を残すこととなりました。南ユダはアッシリアに貢物を納め続け、隷属することになったのです。止めれば滅ぼされるとの恐れが常にありました。

それ故、再度、主はイザヤを通し預言をし、励まします。それが本日の聖書箇所です。それは、ひとりのみどりごによる希望の光です。南ユダ王国の現状は「闇の中を歩む民…死の陰の地に住む者」(:1)とあるように、不安と恐れの中にありました。その民に「大いなる光を見…光が輝いた。あなたは深い喜びと、大いなる楽しみをお与えになり、人々は御前に喜び祝った。」(:1~2)と言います。それをもたらすのは、ひとりのみどりごの誕生であります。「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。」(:5) 

この「みどりご」とは、その時代にあって直接的には、南ユダ王国を滅亡から守ることになるヒゼキヤを意味したでありましょう。ヒゼキヤは父アハズと違い真に信仰深い王となりました。「彼(ヒゼキヤ)は、父祖ダビデが行なったように主の目にかなう正しいことをことごとく行ない、聖なる高台を取り除き、石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し…イスラエルの神、主により頼んだ。その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また彼の前にもなかった。」(列王記下18:3~5) 彼は、イザヤのことばを受け入れ、信仰に立ち、アッシリアへの貢献を止めました。当然のこと、アッシリアはユダを滅ぼそうと攻めて来ました。エルサレム以外のユダの町々、村々はアッシリアに征服されました。それでもヒゼキヤはイザヤの預言を信じて、信仰に立ました。そして預言のとおり、アッシリアは1夜にして185千人が主に撃たれて死に、引き返して行き、王も裏切りにあい、殺されてしまいました。(列王記下19:35~37) この出来事は後のことになるので、話を元に戻しましょう。

本日の預言は、更に後の時代に起こる出来事の預言であります。なぜなら、南ユダ王国に対する預言ではなく、「ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが、後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。」(8:23)とあります。これは、北イスラエルをも含めた、神の約束の地の回復預言であります。そしてその栄光を受けるガリラヤとはイエス様が成長し、先ず、神の国の福音を宣べ伝え始めた地であります。このみどりごは、真の権威を持ちたもうお方であります。「権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。」(:5~6)と言われるお方は、ダビデに約束された、彼の末から起こされる救い主の姿であります。それこそが、罪故に滅びの道を歩んでいる人間、全人類の祝福の源となると、アブラハムに約束された救い主であります。人間の知恵ではなく、人間が思い及びもしなかった形で、ただ、「万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。」(:6)神の愛、恵みの現われ、イエス様の誕生を預言しているのであります。

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