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礼拝説教要約(2018121日)

誘惑に勝つ秘訣」         聖書・マタイ福音書4111

 誘惑はどの時代でも、どの国でも、又、どんな年齢の人にも来ます。誘惑に負けて、エデンの園(神の国)から追放された人間が置かれたさすらいの地・この世は、誘惑に満ちています。人が自分の知恵によって欲望のまま、自分第一に生きるようになったからです。「人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。」(ヤコブ1:14~15)とある通りです。そして欲望は、「すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。」(1ヨハネ2:16)と聖書は言っています。救い主となるためには、罪が1つでもあってはなりませんから、イエス様はこれら全てに勝利しなければならないのです。でも、私たちと同じ弱さを持った人として生きねばならなかったのに、イエス様はこれらの誘惑に勝利くださいました。これは人間にとってお手本であり希望です。

 今までは、イエス様が1家庭人、大工として父に仕えて静かに暮らしておられたので、サタンも執拗に誘惑しなかっただろうと思います。しかし、イエス様が神の子・救い主としての公生涯に立たれたとあっては、サタンも放っておくわけにはいきません。それゆえ、サタンはイエス様を強力に誘惑しました。またそれは、イエス様が救い主としての働きをなすためには、どうしても通らねばならない道、そして勝利しなければ、使命を果たせない事柄でした。それ故、敢えて、霊に導かれ4040夜、断食という厳しい状況に置かれたのです。

 断食の故に空腹になったイエス様への第1の誘惑は、「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」(:3)でした。私たちにとって、石をパンにすることは不可能です。サタンは出来ないことをもって誘惑することはありません。神の子としての奇跡的力を持つイエス様なら可能です。この誘いには、(1)「出来ないのなら、お前は神の子じゃない。救い主じゃないのではないか」との、隠された誘惑があります。又、(2)神の子としての力を先ず、自分のために用いさせようとする企みがあります。そして何よりも、(3)「石をパンに出来るのだから、この世の食糧問題を解決しなさい。貧しく飢えている人々を助けなさい」と、霊的、究極的な救いの問題を、この世的、その場限りの救いの問題にすり替えようとしているのです。私たちも貧しかった戦後を経験しています。そして今は豊かになりました。しかし、罪の問題はなくなるどころか、益々深刻化しています。サタンは一つの誘惑の中に、3つの落とし穴を仕掛けて誘惑しているのです。

 イエス様に「石をパンに出来るか。出来ないか。」と視点をずらして誘惑したように、サタンはあなたにも、色々のことで「出来るか。出来なければ、駄目なやつだ!」と誘惑します。でも問題は、それを行なうことが可能か否かではなく、それを行なうことが神の御旨であるか、どうかということなのです。

 祈り、御旨を示されていたイエス様は、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」(:4)と答えました。確かに人が生きるにパンは必要です。でも、人間にとってもっと大事なものは、神の言葉を聞き、それを生きること。いえ、神の御旨を生きようと心定める時、かえって、私たちは神によって生かされるのです。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのもの(生きるに必要)はみな加えて与えられる。」(マタイ6:33)

 第2の誘惑は、人の目を引き付け、驚きを与えて、人の心を支配することでした。人々が多く集まる神殿の屋上から飛び降り、空中浮遊すること。神の子ならそれが出来ると、聖書が言っていると誘惑します。でも、聖書の言葉だからと、一面で捉えてはなりません。このようにサタンさえ神の言葉を用い、光の天使を装って誘惑することを心に留めましょう。だから、聖書を全体的に読み。捉えて行かねばなりません。イエス様の奇跡の行為は、人を引き付ける目的で行なわれてはいません。愛の行為の結果として溢れ出た力が奇跡となっているのです。自分の目的のため、「神である主を試しはならない」(:7)のです。

 人にとって、誘惑の最強にして最後は、栄耀栄華、そして権力であります。イエス様が世界の王となれば、全ての問題は解決。しかしその前に、サタンにひれ伏し拝むという条件があります。70数年前日本でも、「天皇を神として先ず拝むなら、キリスト教布教をしても良い」という状況がありました。共産圏でも、人間の思想を第一にするなら、キリスト教信仰をしても良いと制限を付けられています。そのような状況下には、神が与えようとする救い、真の幸いである神の国はないことを、歴史が示しています。私たちも主イエスと共に「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』」(:10)と言いましょう。

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