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礼拝説教要約(2018211日)

「わたしについて来なさい」    聖書・ルカ福音書5111

 「私はお坊さんになる」と言い出した、大学で化学を学んでいる娘さんの話が、新聞の「窓」の欄に載っていました。家はお寺さんでご両親が僧侶。きっかけは大好きだった祖父の死で、葬儀が進む中で、遺族に慰めを与えお坊さんの働きの大事さを知ったことだったそうです。人生の大転換のきっかけ、それは人との出会いだったり、別れ(特に死による別れ)の場合が多いように思います。

 今日の聖書箇所にも、シモン・ペトロに人生の大転換が起こったことが記されています。マタイやマルコによるとペトロの弟アンデレとゼベダイの子ヤコブ、ヨハネも一緒に、この時からイエス様と寝食を共にする弟子となったことが記されています。でも先々週、すでに、アンデレやペトロはイエス様と出会い、イエス様を救い主と信じて弟子となったことを見ました。確かにイエス様に出会い信じていたでしょうが、1度きりの出会いで、すべてが決まるわけではありません。

 私も大学に入り、クリスチャンという人々と出会い、聖書を読むようになり、イエス様に出会いました。ほんとにこんな人がいたのかと驚きでした。でも、すぐクリスチャンになったわけではありません。聖書を読み始めて5ヵ月後、教会に行きました。それから洗礼を受けクリスチャンになるまで更に1年かかりました。それから伝道者になろうと献身の思いが与えられるまで5年。更に2年を経て献身し、神学校に入りました。その最終的なきっかけは愛する母の死でした。それは、生きている親族を慰めるためではなく、死んだ母はどこに行くのだろう、救い主イエス様を知らずに死んだ母は、やはり、罪ある者として神の裁きを受けるのだろうな!でも母が悪いのではない、イエス様を知りながら、真剣に母にそれを伝えなかった私が悪いのだ。「母を憐れんでください」と神に祈り、永遠の救いの大事さ、そして真の幸いとは何かを伝えなければならないと示されたからでした。そのように何回かの出会いを経ながら、決心へと導かれるのです。

 既にイエス様とペトロは知り合っていたからこそ「シモン!私を乗せて、船を少し漕ぎ出してくれないか!」と頼むことが出来たのでしょう。イエス様は船の上から岸辺にいる群衆に教え始められました。しかし、この日のイエス様は、群衆に話すことよりもシモン・ペトロに焦点を当てて語り、導こうとしていたように思えます。群衆に話し終えてシモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」(:4)と言われました。ペトロは夜通し漁をし、ヘトヘトに疲れて網を洗っていたのですから、拒もうと思えば拒むことも出来たのです。そのような気持ちもあって、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何も取れませんでした。」(:5)と言ったのです。“私たちは漁のプロですよ、その私たちが夜通しがんばったのに収穫なし、太陽が昇った今は、到底無理です。”との思いが隠されています。でも「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」(:5)と答えました。これが大事なのです。

 知識や経験は大事です。そして私たちはそれを頼りにしています。しかし、自分の知識や考えではなく、イエス様のお言葉、神の言葉聖書を最優先することは、更に大事なことです。先週もお言葉に従って、イエス様と行動を共にした召し使いたちが奇跡を見たように、ペトロも「お言葉ですから」と従い、イエス様と行動を共にしたとき奇跡を見たのです。「そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。」(:6)

 でもペトロの素晴らしさは、この出来事を、驚き喜んだだけではありません。目では見えない湖の底を見通されるこのお方は、私の心の奥底も見抜いておられると受け止めたことです。そのときペトロは自分の心の奥底に巣くう罪を自覚しました。それゆえに「シモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、『主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです』と言いました。」(:8) もはやペトロにとってイエス様は単なる「先生」(:5)ではありませんでした。「主」(:8)となられたのです。だから、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マタイ4:19)と言われたとき、「彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。」(:11)とあるように、イエス様に全生涯を委ねて生きる決断ができたのです。弟子たちにとってそれは、新たな人生のスタートでありました。

 あなたも、罪の深みから救い出され、救い主イエス様と共に、この世の旅路を歩んでみませんか。

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